杉本純のブログ

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ライターの蹉跌

これまでのライター経験の中で、周囲の先輩・後輩がライターを辞める、といったことが少なからずあった。

単に勤めていた会社を辞めて別の会社のライターになった、というのではなく、ライター仕事そのものと縁を切ってしまうのである。その理由は、業務量が多くて辛い、といったものから、何だかクリエイティブなオシゴトだと思っていたけどイメージと違っていた、といったものまでさまざまである。

中には、人とコミュニケーションを取るのが向いていないから、というアホな理由を述べて辞めていく人もいる。一体ライター仕事を何だと思っていたのだろう。ライターをやる以上、間違いなく取材対象者とのコミュニケーションが発生するし、編集者との打合せもそれなりにある。作家や評論家や翻訳者であったとしても、編集者は付くだろうし、そもそも社会人として生活していたら誰かとコミュニケーションを取らざるを得ない。

それはともかく、思うに、ライターという職業はけっこう特殊で、社会人として一度この世界に足を踏み入れると、よほどの決意と行動力がない限り、本格的な転向は難しいのではないか。ライターとしてこんなことをやりました、という実績のアピールが、他の業種の人には魅力的に映らないことが多いと思うからだ。だから多くの元ライターは、取材・執筆は続けられないけれど編集者をやる、とか、プランナーをやるとか、ライターに隣接する業務に就く。それがステップアップである例も少なくない。

別にライターでなくとも、転向するには多大な努力を要するだろう。ただし、ライターは他の仕事に比べ、肉体的にも精神的にもそれほど大変ではないと思う。ライター仕事で音を上げていたら、他の世界じゃまるで使い物にならないぞ。

他人の人生や決断にあれこれけちをつける必要はないのだが、ライターの道に蹉跌する人を横目で見るたび、そんな風に感じる。

私はクリエイティブ業界に今もあると思う根性主義や精神論が大嫌いだから(このブログでもたびたび批判的内容の記事を載せてきた)、あまり上のようなことは言いたくない。しかし、コイツこの先大丈夫か?と思ってしまう挫折者が、けっこういる。