杉本純のブログ

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私小説雑感

梅澤亜由美の『私小説の技法』(勉誠出版、2017年)を図書館で借り、ぱらぱら読んだのだが、「はじめに」で首を傾げる箇所があった。

ここを読むと、梅澤は私小説を、その特徴を述べて称揚しようとしているように思える。まず「私小説は、誰にでも書きやすい小説である」とあるのは、自分の身に起きたことを書く、というやり方が私小説の書き方に含まれると思うので、その通りだと思う。

しかし梅澤は続いて、「私小説は横断的に楽しめる小説である」と書き、辻仁成江國香織の『冷静と情熱のあいだ』のような、同じ出来事をそれぞれの視点から描くことが、私小説では早くから行われていた、と述べ、志賀直哉と里見弴、谷崎潤一郎佐藤春夫などを例に挙げている。しかしそれをいうならすでにバルザックが一人でそうした書き方をしているはずだし、「メダン夜話」のような例もあれば、歴史上の事件や人物を複数の作家が書く例も枚挙に遑がなく、それらは「私小説」ではないと思う。無名の一般人の身に起きた出来事を複数の視点で、というならそれはそもそも私小説やモデル小説以外では難しいことだから、当たり前だろうという気がしてくる。

次いで、私小説では作品の後日談や外伝が生まれやすい、と述べているが、それならやはりバルザックが先駆的にやっているし、ゾラもフォークナーもやっているはずで、それらは「私小説」とは呼ばれていないと思う。もちろん私小説作家の作品群は後日談のような展開をするだろうけれど、それも私小説なんだから当たり前だろうという気がするので、私小説では後日談や外伝が「生まれやすい」と敢えて述べるのが、不思議である。