杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

勉強は自分からするもの

先日、あるライターと仕事について会話した。そのライターは私より年下なのだが、今の自分が直面している、この取材の原稿を上手く書けるだろうかといった問題や、自分は取引先に気に入られているだろうかといった疑問よりも、自分にはやりたい仕事があるが、それをやるためには今後どういう勉強をしていけばいいのかということの方をより深く考えている節があり、それは良いことだと私は思った。

私はよく後輩のライターに、成長したいのなら勉強するべきだ、と言うのだが、もちろん本人に何かやりたいこと、目指しているものがないのなら勉強などやっても仕方がないのである。私は無知は罪だとさえ思っているが、べつに勉強しなくたって生きていけるし、義務教育は中学までで終わりなのだからそれ以降は勉強しなくてはならないわけではないのは一般的事実である。

何か目的があるから勉強するのである。そして、その目的は自分で選ぶ・見つけるべきだと私は思う。他人から目的を与えられ、それについて「勉強せよ」と言われたって、たいていは不快な気分になるだけだろう。そうではなく、自分が心からやりたいと思うこと、好きなことだからこそ勉強への意欲が湧いてくるのではないか。

だから本来、私は後輩に「勉強せよ」などと言う必要はないのかも知れない。本人が目的を見出せばあとは勝手に勉強するだろうからだ。