杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

意識は高いが実績はなし

蛯谷敏『爆速経営 新生ヤフーの500日』(日経BP社、2013年)を読んだ。ヤフーの宮坂学前社長が、2013年の社長就任の前後から、ヤフーをどのように改革するかを考え、実行していったかを取材したビジネス本。

印象に残った、というより考えさせられたのは、Chapter 6「見られるからこそ社員は輝く」の「理想の××は自分で作る」で、宮坂が人生にはキャリアの軸とライフの軸があると話すくだり。

 きっと、人生にはキャリアの軸とライフの軸があって、キャリアの方はお金や物で成功したかどうかを測れるんだけど、ライフの方は人とのつながりが大きいと思うんですよね。人とどれだけつながれたかでたぶん決まるんだと。そのためには、ちゃんと友人に会わないといけないし、そのための時間をちゃんと割かなきゃいけない。
 僕にも失敗の経験があるんです。20代、30代と、それこそ寝る間も惜しんで仕事を続けていました。ほとんど家に帰らないで、デスクの下で寝泊まりを続けていたこともあります。それはそれで、仕事が猛烈に楽しかったのでよかったのですが、ある時、気付いたら親しい友達がいなくなっていました。
 30代後半の頃かな。高校、大学の友達とほとんど切れちゃって。それはそれですごい危機感を覚えましたよ。仕事は確かに充実しているけれど、人とのつながりがないじゃん、オレって。

この箇所を読んで、そういえば自分もこの十年ほど、けっこう色んな人との関わりを断ち切ってきたな、と思った。ただ私はもともと、友達なんて数人いれば充分と思っているが。

会社と仕事に打ち込み過ぎてプライベートが犠牲になった、という意味ではない。

私は日常的に行う仕事以外に、作品を書いている。そしてかつては文学同人に属し、そこでの仲間とはけっこう親しくしていた。しかしある時期、同人を辞めた。それからは文学面での人とのつながりはほぼ皆無になってしまっている。作品を書くことは続けているが、理解者も共感してくれる人もおらず孤独である。

そして、作品を書くことを仕事に含めれば、私も、仕事に打ち込むあまりにプライベートをほぼ犠牲にしている。つまり、キャリアの軸の活動のためにライフの軸の方を抛棄している。しかし、ではライフの軸での活動を開始しなくてはならないぞと考えているかというと、そうでもない。現時点でも作品を書くことが満足いくところまでいっていないのだから、キャリアの軸での活動が不足している状態なのだ。そちらがきちんと形にならないことには、ライフの軸での活動など、考えられない。キャリアの軸での活動を継続し、展開するには努力しかない。プライベートは犠牲になる。

何者かになりたいけどまだなれていない人。それがワナビ。意識はやたら高いが、実績はないのである。