杉本純のブログ

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臆病ライター

以前、海中工事を行うある会社の社長にインタビューした。叩き上げで社員想いのすばらしい社長で、話が一つ一つ、実体験と思索を経た、確信に満ちたもので私は多くのことを学ばせてもらったと思っている。

例えば、海中工事業者の職人は臆病な人のほうが向いている、という話。職人には元ダイバーの人が多く、彼らは冒険家だったのでとても勇敢なのだそうだ。しかし、海中工事は命の危険を伴うことが数多くあるため、勇敢な奴はふさわしくない。臆病な奴のほうが向いている、とのこと。

その時は、なるほどと思っただけだった。しかしその後まったく別の場所で、ある人から「ライターたる者、レコーダーなどに頼っていてはいかん。レコーダーは持たなくていい」という話をされた時、いやそれは違うだろうと思ったと共に、先の社長の話を思い出したのだ。

その人の言い分は、周囲にいるライターたちが原稿を書き上げるのが遅い、取材後にいちいちテープ起こししたりしているからダメなんだ、だからレコーダーなんぞやめてしまえ、というものだった。これは、一理ある。

しかし、レコーダーを使うなというのは極端だと思った。原稿が遅いのは問題だろうし、テープ起こしばかりするのもよろしくないと思うが、だからといってレコーダーをやめてしまっていいわけではないだろう。

ライターが話を聞く状況はさまざまであり、聞く内容もさまざま、聞く相手の話し方やスピードもさまざまである。話す場所が強風の吹く屋外の場合もあれば、その内容が高度に専門的で事前に勉強し切れないこともある。インタビュイーには吃る人もいれば早口の人もいるし、方言を使う人だっているのである。

「記憶より記録に頼れ」というのは、中学校の国語の先生に教わって以来の私のモットーだが、その意味で、レコーダーはメモよりはるかに優れた記録だと言える。速記者でもない限り、メモは必ず、断片的たらざるを得ず、メモだけで書く場合は残りを記憶によって補い、つなぎ合わせるしかない。取材後すぐに原稿に取り掛かれる環境があるなら良いだろうが、一日に何件も取材する場合などはそうもいかないだろう。たとえすぐに取り掛かれたとしても、上に述べたような取材状況の多様さがあるので、メモでは対応し切れないことはまま起こり得るのだ。

だから、相手の言葉をメモを書き留める技術にいくら自信があろうと、レコーダーを抛棄するのは無謀である。先の社長が言ったことは、ライターにも通じる。自分の記憶やメモに過信しない臆病者こそ、ライターに向いていると思う。

私は臆病ライターである。