杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

二元論で押しまくる

岩田慶治の『自分からの自由 からだ・こころ・たましい』(講談社現代新書、1988年)は、杉浦康平の『かたち誕生』(日本放送出版協会、1997年)で紹介されていた。『かたち誕生』は松岡正剛さんの書評サイト「千夜千冊」で知ったが、同サイトには岩田の『草木虫魚の人類学』(淡交社、1973年)も紹介されている。

『自分からの自由』は、文化人類学者である岩田による、スピリチュアルめいた観点から述べた人生哲学のような、不思議な味わいのある本である。人生とか自分というものを、何らかのモデルを使って読み解こうとするもので、抽象的ながら面白い。

その前半に「二元論で押しまくる」という節がある。問題の構成要素を分析するにあたり、二元にするのが良いか、三元にするのが落ち着くのか、という方法論を述べていて、岩田は自分は二元にしていると言う。

 私は、ずいぶん乱暴で、論証を略していうのだけれども、とにもかくにも二元に執着している。三元はいらない。二元で足りると思っている。しかも、その二元の一方は自分自身でなければならない。自分と風景、自分と地球、自分と宇宙、それで事足りている。
 同行二人である。

なるほどたしかに、物事は何でも複雑にせず、自分を主体としてそれに対置させると捉えやすいと思う。

自分はデザイナーがやりたくて今の会社に入ったけど先輩の働かせ方が乱暴だからもう会社もデザイナーも辞めたい!…ではなく、自分とデザイナー、自分と会社、自分と先輩。すると、乱暴な先輩は嫌、だけどデザイナーは嫌じゃないし会社も嫌じゃない、と整理できる。そうなると動きが変わってくる。そういうことではないか。

会社の仕事はつまらないし大変だから辞めたい、会社勤めなんてまっぴらだから独立したい!…ではなく、自分と会社、自分と仕事、自分と独立。そうやって考えると、この会社はつまらない、仕事は大変だ、でも別に独立したいわけでもない、と気づく。だったら転職でもいいか、となる。はたまた、自分と会社を対置させることで、つまらないと思っていたのは自分の慢心からだと気づく。反省して、もうちょっとこの会社で真面目に働いてみよう、となる。すると意外なことに、大変だと思っていた仕事も姿勢を変えたことでさほど大変だと感じなくなるかも知れない。

二元論で押しまくるのは有効だと思う。けれども、どうもこの二元論で押せず多元的に考えてしまい、何だか変な方向へ転がっていく人は少なくないと感じる。早まらずに落ち着いて問題の要素を整理するのが良いのではないか。

さて岩田はしかし、「自分の身体のなかで、二元を一元化していく」と述べている。岩田の文章は論理的に読み取るのが難しいのだが、思うに、物事をきちんと整理した上で、矛盾を抱えながら今を生きていく、ということではないだろうか。

今ある問題は、やろうと思えばきちんと切り分け、整理して把握することができる。けれども問題が尽きることはないので、それを抱えながらたくましく生きていくしかない、ということだろう。問題や悩みと一緒に生きていこうということではないか。