杉本純のブログ

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編集者雑感

中野孝次の対談集『対談 小説作法(さくほう)』(文藝春秋、1983年)の永井龍男との対談で、考えさせられる箇所があった。永井は1904年の生まれで、「黒い御飯」が「文藝春秋」に載ったり同人誌に参加したりしたが、1927年に文藝春秋社に入る。菊池寛横光利一がその際の恩人だったようだ。永井は就職の理由を「非常に貧しかったからです」と対談で話している。その後の方で

何とかして勤め先を探さざるを得ない。ところが、学歴はないし、体は弱いっていうんで、勤め先がないんですよ。結局、編集者にでもなるよりほかないということで……。

 と語っているのだが、そうか、この時代、編集者というのは学歴がなく体の弱い人がなる職業だったのか、と思った。永井は「一ツ橋高等小学校」という学校を出たが、恥ずかしながらどの程度の学校なのかは分からない。編集者という職業の当時の世間での立ち位置もよく分からない。

私の印象では、今、書籍の編集者になろうとする人は、それなりの学歴があって、出版物を通して何かを世に問おうとするような人だ。雑誌の編集者であれば、何かクリエイティブなことがしたい、と思っている人が多いような気がする。少なくとも、食べるために編集者になろうとする人は少ないように思う。もっとも永井の場合、その前から書き物をしていて、菊池寛などとも関わりがあったので、元から近しい世界ではあった。

永井はその後、小説家になっていくが、そうでなければ編集者を続けただろうか。上述のように、何事かを世に問いたい、などの目的があるなら別だが、実入りのためだけに編集者を続けるのは辛いだろうなと思う。