前にも書いたが、北村薫『六の宮の姫君』(創元推理文庫、1999年)の主人公には強い共感を覚える。調べ物好き、という時点ですでに共感が大きいのだが、物語の前半、主人公が国会図書館に行って、全集が出ることになっている作家の資料をコピーするあたり、うんうんと頷かされる。
戦前の本を捜してカードをめくっていくと見事に、ある。手書きの書名、著者名などを見つめていると、半世紀以上の昔にこのカードにこの文字を書き込んだ人が確かにいるのだ、という思いが込み上げてくる。
渡された本を開き、《帝国図書館蔵》という大きな朱印が押されているのを見る。そこで、また半世紀以上経った時に、この本を開く誰かがいるのだろうかと思ったりする。
主人公は本以外に雑誌や新聞も資料としてチェックをする。
この仕事には大きなネックがある。つい、直接関係のない記事にも読みふけってしまうのだ。創成期の『文藝春秋』などはもう麻薬的である。面白くて仕方がない。菊池寛というのは凄い人だったと改めて思う。
わかる。。私も、国会図書館ではないが調べたい過去の新聞記事を縮刷版で見た時、当時の別の事件が面白くてつい読みふけってしまったことが何度もある。