杉本純のブログ

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ジョージ・オーウェルの「なぜ書くか」

大江健三郎中野孝次との対談(『対談 小説作法(さくほう)』(文藝春秋、1983年))で、自分が子供時代に身につけた生活の仕方や感じ方をそのまま持ち続けるようにしている、と言い、続けて、ジョージ・オーウェルが「なぜ書くか」という文章の中で同じようなことを書いている、と話している。

「なぜ書くか」は、岩波文庫の『オーウェル評論集』(1982年)で読むことができる。これはオーウェル自身が自らの過去を振り返りつつ、作家としての姿勢や書く動機、それらと文体の関係のようなものを披瀝したもの。

大江が対談で引いた箇所は、小野寺健の訳では次のようになっている。

わたしには、自分が子供のころ身につけた世界観を完全に放棄することはできないし、しようとも思わない。

上記よりはるか前の箇所で、オーウェルは、作家が物を書く動機は四つに大別されると言い、その第一に「純然たるエゴイズム」つまり虚栄心を挙げ、その中で次のように書いている。

人類の大部分はそう自己中心的ではない。三十をこす頃になると個人的な野心など捨ててしまい――それどころか、そもそも個人としての意識さえ捨てたのも同然になって――他人の生活のために生きるようになるか、骨が折れるだけの労働の中で窒息してしまうものだ。ところが一方には、少数ながら死ぬまで自分の人生を貫徹しようという決意を抱いている、才能のある強情な人間がいるもので、作家はこの種の人間なのである。れっきとした作家はだいたいにおいて、金銭的関心ではかなわなくとも、虚栄心となるとジャーナリスト以上につよく、自己中心的だと言っていいだろう。

大江の言及箇所と共に、面白くて、なんとなくだが、励まされる。