杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

ドラマティックな原稿

ライターの仕事をしている中で、半年に一度くらい出くわす発注者がいる。

「ドラマティックに書いてほしい」
「熱く書いてほしい」
「ドキドキするような原稿にしてください」

などなど、取材後ライターが原稿を書く段階になって、正確さ以上のことを期待してくる人である。

これらの言葉は、こちらの仕事に対しすばらしい出来高が上がることを願ってのものだ。ライター稼業は頼られる内が華だと思うので、私はもちろん真摯に応対する。ただし、そう思う胸の内には、わずかなノイズが走っている。

以前、このブログにも書いたが、記事の善し悪しは「材料七分、腕三分」だと私は思っている。

ライターは事実を元に記事を書くので、どれだけ腕が良くても、取材した話自体が面白くないものであれば、記事が面白くなることは恐らくない(もちろん最大の前提として、「面白い」は読み手の評価に過ぎないということがある)。

ドラマティック、熱い、ドキドキ、なども同じだ。話の内部に葛藤がなければドラマティックにはならないし、取材対象が燃えていなければ熱くなどならず、内容が読み手の気持ちを揺すぶるものでなければドキドキしてもらえず、それは読み手と内容の関係によるから、書き手が技術で実現するものではないと思うのだ。

逆に、葛藤や熱意があり、奥深い内容であれば、恐らくそれはその通りに書くだけでドラマティックになるし、熱くなるし、ドキドキするだろう。例えば私が以前取材したある医者は、高い志を持って研究に打ち込んでいたが、とても謙虚な態度で話されていた。私はそのことを、特に装飾を加えず、表現などに凝ることもなくごく普通に書いたが、発注者からはよく書けていると褒めてもらえた。普通に書けばいいのだと思う。

だから課題があるとすれば、取材前の、何を取材しそこから何を得ようかという「計画」の方ではないか。事前に取材対象のことをきちんと調べ、記事の出来上がりに対しある程度の予断を立て、取材をして証言を取る。予断はたいてい、一部ないし大半が捨て去られる。

原稿は、ただのアウトプットに過ぎない。だから、原稿を書く段階になって、ライターの技術に全てがかかってる、みたいに期待されても困ってしまう。