杉本純のブログ

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「麦男」ではなかった…

以前このブログで、佐伯一麦が、「佐伯麦男(ばくだん)」というペンネームで書いた小説「木を接ぐ」で海燕新人賞を受賞したと書いた。

その裏付けとしたのは、岩波書店の『私の「貧乏物語」』(2016)に載っている佐伯の寄稿である。そこには以下のように書いてある。

 最初、文芸誌の新人賞には「佐伯麦男」のペンネームで応募していました。ゴッホの麦畑の絵に影響され、ばくだんと読ませて。梶井基次郎の「檸檬」みたいですね。文壇に爆弾を仕掛けてやろうというような思いがあったんでしょう。デビュー作となった「木を接ぐ」という作品です。この作品で一九八四年に海燕新人賞を受けたのですがそれからしばらくして紹介された中上健次さんから「お前、いくら稼いでるんだ」と聞かれ、「十五万から二〇万円のあいだ」と答えたら、「馬鹿野郎、だめじゃないか、その倍は稼がなきゃ」と。

これを読めば、多くの人は「木を接ぐ」は「佐伯麦男」で応募・受賞したと思うのではないか。

しかし、実際に「海燕1984年11月号の新人文学賞当選作発表を見てみたら、ばっちり「佐伯一麦」と書いてあるではないか。

この回の選考委員は大庭みな子、瀬戸内晴美中村眞一郎古井由吉三浦哲郎で、小林恭二も『電話男』で受賞している。

もちろん中の当選作発表と「受賞のことば」を見ても同様に「一麦」と書いてある。もしかしたら、佐伯自身が受賞連絡を受けた際、何か思うところがあって「麦男」から「一麦」に変えたのではないか…私はそう思い、「海燕」前号の予選通過作品発表も読んでみたが、こちらも「一麦」になっている。どうやらこの応募は最初から「佐伯一麦」でやったと見るのが妥当だろう。