杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「もっともだえろ!」

今村昌平著・佐藤忠男編著の『教育者・今村昌平』(キネマ旬報社、2010年)は、1975年に横浜のスカイビルに創設された横浜放送映画専門学院と後の日本映画学校(現日本映画大学)での今村昌平の発言や寄稿や講義内容を編集した本である。私はこの学校の卒業生であるから面白いし、在学中に二度しか見なかった今村さんの色んな側面が見られて今更ながらの驚きもある。

その中に、1986年の日本映画学校開校に際しての今村さんへのインタビューが載っている。最初に載ったのは「青」という雑誌の1986年3月号であるらしい。私の記憶では、たしかこの雑誌は「映像探究誌」とかいう副題が付けられた、映画学校の機関誌のようなものである。ちなみに私の在学中には「日本映画学校だ」という機関誌があった。

インタビュー記事のタイトルは「もっともだえろ!」というもので、今村さんは、それまでの教育に限界を感じていると言い、横浜放送映画専門学院とATGの共同制作による劇場用映画『君は裸足の神を見たか』を卒業生(6期生・金秀吉)と作っている最中だが、学校での演出の教育はもっと学生の肌身に迫るものでなくてはダメだと痛感したと言う。横浜から川崎の日本映画学校に移るに際し、教える側ももう一度原点に戻って考えなくては、と述べている。

このインタビューを読む前は、このタイトルからして、今村さんが「苦しまなきゃ面白い映画は創れない」式の精神論を述べているのかなと思ったが、こんなことが書いてある。

横浜で十一年やってみて学生たちの方もずい分変化してきた。最初の頃は割にヘンテコリンな奴がいて、講師の側も面白がっていたんだが、四期五期あたり、学院がだんだん学校らしくなるにつれて、どうもこいつらは俺たちとちがう、明らかにちがうのだという実感も出てきた。何か人間としての根本的なもの、「人間」という生き物に対する好奇心というようなことが、どうも薄い。ウチの学校へやって来る前に、何かを落っことしたまま来てるんじゃないか? もだえるってことがない。もうちょっとしつこくもだえてもらいたい。そのためには「人間」という生き物への興味がうんと必要なんだ。じつはそのための土台づくりを三年かけてやってみよう、そういう狙いもあるんです。もだえなけりゃ、こっちからどんどん押しつけていってでも、もだえさせたいと思うね。

精神論のように見えるが、もだえるためには人間への興味が必要、という言葉はとても重要だと思う。

ライターの世界でも、五十くらいのベテランの人が以前、後輩ライターに向かって「もっと悶えてください」と言っていたのを記憶している。私は、こういう言葉を煙たいと思う一方、年下のライターを見ているとやはりこういうことをうるさく言う必要があるのではないかと思うこともある。