杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

佐伯一麦「朝の一日」

佐伯一麦の短篇「朝の一日」を読みました。

これは「海燕」1986年12月号が初出で、単行本『雛の棲家』(福武書店、1987年)に収められ、今は『日和山』(講談社文芸文庫、2014年)で読むことができます。

内容は、主人公の鮮(あきら)が仙台の町で朝早くに新聞配達をする。たったそれだけですが、その過程で胸にさまざまな思いが去来する、というもの。鮮の知り合いの女子が妊娠したことが周囲の少年たちの間で話題になっていて、妊娠させたのは鮮であるという噂が立っています。しかしそれは間違いで、鮮は女子(光枝)に思いを寄せながら、チャンスはあったものの抱く勇気はありませんでした。そして最後は、新聞配達を終えた後、一人で私生児を生むことになる光枝のことを思い、「光枝に逢いに行こうか」と考えるところで終わります。「仙台」と具体的に地名が書かれているわけではありませんが、佐伯が私小説の書き手であることを考えると、その舞台が仙台であるのは間違いありません。

この小説について、阿部公彦は『日和山』の解説で「処女作」と述べていますが、その根拠は示されていません。佐伯が公に発表した最初の小説は「静かな熱」という短篇で、これは1983年に第27回かわさき文学賞コンクールに入選しました。「静かな熱」は高校時代に書いたもので、厳密にはこちらこそ「処女作」と呼べそうですが、その内容は「朝の一日」に酷似しています。

朝の新聞配達の模様を描いている点、知り合いの女子(「静かな熱」では「光江」)が妊娠し、自分が子の父親だと噂されている点、最後に女子に逢いにいこうと思って終わる点も同じです。また、新聞の配達区域が刑務所(仙台市の宮城刑務所)の近くであることや、そのコンクリート塀に「S裁判粉砕!I被告強制移送絶対阻止!!」とあること(「静かな熱」では「S裁判粉砕!I被告強制送還阻止!」)、配達先の家の窓に「カネカエセ」と書かれた貼り紙があることなど、細部もほぼ同じです。

「朝の一日」は、言わば「静かな熱」を改作したものです(その旨は『日和山』巻末の佐伯年譜にも記されています)。佐伯はその後、これにさらに大幅に手を加えて『ア・ルース・ボーイ』に結実させます。『ア・ルース・ボーイ』にまで言及すると長くなってしまいますのでこの辺で止めますが、『ア・ルース・ボーイ』には「狭山裁判粉砕! 石川被告強制移送絶対阻止!」と書いてあり、「S裁判」は狭山事件の裁判だったことが分かります。

本の縁

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先日、バルザック『ウジェニー・グランデ』(水野亮訳、岩波文庫、1953年)をぱらぱらとめくっていたら、小説の末尾に鉛筆による書き込みがあるのを見つけました。本書を私はずっと前に読了しているので、その時にも目にしたはずですが気に留めなかったのだと思います。

一九七六年一月一日(木)
訳によるのかも知れないが、この作品の喜劇性の映しだす真実はすさまじい。『世の習い』でのウジェニーは、真実であるがゆえに恐しい

私が本書を入手する前に所有していた人が書き込んだものに違いありませんが、1976年というと45年前、私が生まれる前です。私は本書をアマゾンの古書店から買ったはずですが、このメモを記入した人からどういう風に所有者が変わり、私の元へ辿り着いたのか。

また驚いたのは、メモの日付から察するに、その人は恐らく本書を元日に読了したということです。大晦日から読み始めたのか、ずっと前からゆっくり読んでいたのか、元日に一気に読んだのか。また、元日に長篇を読み終わるこの人は、いったいどんな境遇なのだろう。しかもバルザックの名作『ウジェニー・グランデ』を読むとは。。文学好きの学生か、勤め人の独身の読書家か、小説か仏文の専門家か、はたまたワナビか。真相は一切わかりませんが、いろんな想像を誘うメモです。

メモにある「世の習い」とは、全部で七つある本書の章立ての一つ「世の習ひ」です。ウジェニーは恋に破れ、地元で慈善活動に邁進することになりますが、金銭に異常なほど執着する父グランデに勝るとも劣らない情熱の持ち主として描かれています。メモの主が「真実であるがゆえに恐しい」と書いたのは、ウジェニーのそういう尋常ならざる面を捉えてのことかもしれません。

しかし、私はこの小説に「喜劇性」を見出したりはしなかったのですが…。まあグランデ父娘の行状は極端なので、ある意味で滑稽味があり、喜劇的な面も感じられるのでしょう。

今回のように、古書に前の所有者のメモやアンダーラインが残っていることはしばしばあります。それを契機に前の所有者のことをいろいろと想像するのは、本を通して所有者の間に起こる「本の縁」のようなものかと。思いを馳せられるのは新所有者から前所有者に対してのみであり、一方的な縁かもしれませんが、前所有者もまた、自分が手放した後に誰がその本を読むのかといろいろ想像できるわけです。

八木義德「小説のおもしろさ」

文藝誌「海燕1984年11月号を手に取る機会があり、冒頭の八木義德によるエッセイ「小説のおもしろさ」を読みました。

海燕」は福武書店、現在のベネッセコーポレーションから出ていましたが(1982年1月号より)、1996年11月号をもって終刊しました。同社が主催していた新人文学賞からは佐伯一麦吉本ばなななどの作家が出ており、島田雅彦も、新人賞ではありませんが佐伯より前に「海燕」からデビューしました。

さて八木のエッセイ「小説のおもしろさ」ですが、その内容は平たくいえば、小説の面白さは「新しくて、しかもおもしろい人間像」であり、そういうおもしろい人間像を創り出してほしいと若い作家たちに願い、それが、衰退しつつある小説の魅力を回復する唯一の方法だということです。3ページほどの短いエッセイですが、ややまわりくどい、締まりのない語り口が八木らしいなと私は感じました。ちなみに1911年生まれの八木はこのエッセイが出た時には73歳くらいだったはずです。

このエッセイの中に、面白い、というか、なるほどなぁと感じる箇所がありました。

私は「カラマーゾフの兄弟」を十代に一度、二十代に一度、三十代に一度、四十代に一度、五十代に一度、というぐあいに、十年くらいの期間をおいて五度読んできているが、年を取るにしたがって「カラマーゾフの兄弟」のおもしろさは、一層濃密に、一層深くなったように思う。

カラマーゾフ』のような大長篇を何年かに一度読む、という話は、これまでに何度か耳にしたことがあります。私は、大長篇ではありませんが『若きウェルテルの悩み』を過去に数度読んでおり、最近また読みたいなと思っています。あるいは『レ・ミゼラブル』や『ロビンソン・クルーソー』など、またいつか読みたいなと思う大長篇もあります。

そういう、何年かに一度読みたくなる長篇があるのは、その人の読書人生の豊かさである気がします。

バルザック本

お題「我が家の本棚」

先日、はてなブログ10周年特別お題に参加して楽しかったので、これからもちょくちょく気が向いたらお題に参加してみようと思います。お題シャッフルをやっていたら「我が家の本棚」というのがあり、これなら答えやすいと感じたので書くことにしました。

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掲載した画像は、私の本棚のある部分。19世紀のフランスの小説家バルザックが好きなので、古書店で作品を見つけてはちょくちょく買い集め、ご覧のような状態になっています。主に岩波文庫で買っていますが、単行本で買ったものもあり、それは奥に並んでいます。

バルザックの著作は膨大な数にのぼり、中でも小説作品の大半は「人間喜劇」として体系化されています。「人間喜劇」に属さない小説作品も多数販売されており、まぁ、とにかく膨大です。

私は小説でも映画でも、古典作品に触れることが大切だと思っています。現代作家の作品を味わう中でも、ときどき古典を差し挟んでその世界を感じるようにしています。今も一般に流通している古典作品は、長い年月の間に多くの人の鑑賞や批判を受け、それでも捨てられずに生き残っているものです。すべての古典がそうだとはいいませんが、やはりそれなりの普遍性や、描かれる世界の豊かさを持っていると思います。バルザック作品はすべて19世紀なので、「古典」というには新し過ぎますが、それでも百年以上の長きにわたって生き続けていて、それなりの読み応えもあると思っています。もちろん、駄作や失敗作がないわけではありません。

持っている中で珍しいものといえば、水野亮訳の長篇『ウジェニー・グランデ』や、同じく水野訳の長篇『従妹ベット』でしょうか。バルザック作品は岩波文庫でたまにリクエスト復刊されています。『従兄ポンス』や『「絶対」の探求』などの長篇は新刊書店にも置いてあり、その他にも『艶笑滑稽譚』『ゴプセック 毬打つ猫の店』なども見ることができますが、『ウジェニー・グランデ』『従妹ベット』は古書店でもまず見ることがありません。とはいえ…まぁ、アマゾンで探せば高価なコレクター品も含め、けっこう出ているようです。ただ、私はそんなに性急にバルザック作を渉猟しようと考えておらず、古書店を覗いて見つけたら買う、というスタンスでやっています。

本棚を見るとその人の人間性が分かる、などと聞いたことがあります。その通りだと思います。これまで古書の断捨離はたびたび行い、また興味が移り変わるに従って買う本も変わったりして、本棚の表情は長い年月の中でずいぶん変わりました。それは言うなれば、私の人間性が年を経るごとに変化している証でもあるでしょう。ですがバルザック作品については、我が書架を去った本は恐らく一冊もなく、むしろ時間を経る中で増え続けています。

その他にも本が増え続けている作家はいますが、それはまた別の機会に。

佐伯一麦「いつもそばに本屋が」

朝日新聞2021年11月14日朝刊1面の鷲田清一「折々のことば」は、佐伯一麦の随想「いつもそばに本屋が」(前野久美子編『仙台本屋時間』(ビブランタン、2021年)所収)の一節を紹介しています。

子供というものは、大人が思うほど子供っぽくなく、孤独に耐える悲しみや大人同様のきつさが付きまとっていた

これについて鷲田は、「老いも幼きも、それぞれの場所でもがき、あがいて生きている。自分が今いる場所、向かうべき方角が見えないという焦燥に、人は幾つになっても苛まれ、ついに平穏を得ない」と述べています。

子どもは、傍から見て窺えるほど無邪気でなく楽観的でもない、子どもは子どもなりに悩み、焦燥に駆られている、といった意味でしょうか。能天気に生きている子どもはもちろんいるし、大人になっても能天気なまま、という人もいますが、これはこれで佐伯らしい人間観ではないかと思います。

佐伯の私小説で主人公が未成年のものといえば、「静かな熱」「朝の一日」『ア・ルース・ボーイ』などがあります。主人公たちは「子ども」というほどでもありませんが、大人でもなく、かといってあどけなさなどとは無縁です。辛い過去を抱え、小説の時間の中でも厳しい現実を必死に生きています。それはそのまま佐伯の実人生だったと思われますので、「折々のことば」に引かれた一節は、佐伯自身の強い実感からきた言葉だと思います。

今回、佐伯の言葉を孫引きしてしまいましたが、この『仙台本屋時間』、近所の本屋では売られていないこともあり、未入手です。読みたい。

さて、「いつもそばに本屋が」というタイトルを見てすぐに思ったのが、かつて朝日新聞で連載された著名人による読書エッセイ「いつもそばに本が」です。佐伯もこのエッセイでシモーヌ・ヴェイユの日記や真山青果の本を紹介しました。「いつもそばに本屋が」は、そのエッセイタイトルを意識して付けられたのではないか…と思いました。

板橋農業まつり名物「野菜宝船」

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先日、用事があって板橋区赤塚に行きました。板橋区立赤塚図書館と区役所赤塚支所の前を通ると、建物の手前に板橋農業まつりの名物「野菜宝船」が設置されていました。

前後の長さは2メートル以上あり、重さは約1.5トンもあるそうです。積んでいる野菜はキャベツ、にんじん、大根、白菜、赤カブ、長ネギ、ブロッコリー、カリフラワー、ジャガイモ、サツマイモ、サトイモなどで、これらはすべて板橋区内で収穫されたものらしいです。

「野菜宝船」は、作物の豊作に感謝の気持ちを表したものであるとのこと。板橋以外の地域にも存在するそうですが、板橋の物は「動く」ことが最大の特徴であるらしく、11月に開催される板橋農業まつりのパレードでは皆で船を引っ張って動かすそうです。何年か前に見た覚えがありますが、2020年と2021年はコロナ禍の影響で中止のため見られませんでした。

農業まつりの代替イベントとして企画されたのが「いたばし野菜 秋のマルシェ」です。今回の「野菜宝船」の展示はその一環のことで、他に大根と人参の収穫体験も実施されました。

宝船の脇には看板が立てられ、「ともすれば忘れられようとしている『板橋農業』ですが、ご覧のようなりっぱな野菜を皆さまにお届けできる『腕』と『土』を持っています」と書いてありました。地元を見直しました。

スヌーピーの言葉

NHK Eテレの「ねほりんぱほりん」、先日は「親が“神様”を名乗る人」でした。

親が、どんなことも霊に結び付けて考えて行動する人で、ごく普通の親の愛を与えられることのなかった女性が登場。その人生は悲しく厳しいものでしたが、当人は、今ではそういう運命を受け入れ、親を完全に相対化できているようでした。

そして、スヌーピーの次のような台詞を言います。

配られたカードで勝負するっきゃないのさ それがどういう意味であれ

スヌーピーについて詳しく知らなかったため、当然このセリフも知りませんでしたが、いい言葉だなぁと思いました。

このブログで少し前、子供は親を選べない、という事実を背景に「親ガチャ」という言葉が若者の間で最近よく使われている、と書きました。「ねほりんぱほりん」に登場した方は、まさに「親ガチャ」を嘆きたくなるであろう人なのに、嘆くことをせず、スヌーピーの台詞のような気持ちで生きているわけです。

これが、親を選べなかったゆえに悲しんだ人が口にするにふさわしい、自らの運命に対する言葉ではないだろうか。そんな風に思いました。

スヌーピー、というか漫画『ピーナッツ』を読みたくなりました。