杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

これからも書くぞー。

はてなのブログ書籍化プロジェクトで本を出した人々とKADOKAWAの編集者担当者による座談会。聞き手ははてなの担当者が務めている。

私のブログ歴はまだ4年目だが、ここに出ている本を出した人はいずれも私より長い。なかには10年以上書き続けている人もいる。ただ、完全に毎日更新を貫いている人はいない。それでも、内容が注目されて、書籍化にこぎつけている。すごい。

私は、ほとんど馬鹿の一つ覚えのように頑なに毎日更新を続けてきた。しかし、頻度は低くても密度が高ければ、つまり内容が読者にとって価値の高いものであれば、じゅうぶんに書籍化にこぎつけることが可能なんだと思う。私も、頻度よりも密度の方を取って書こうかな…。

ブログ発信しようとしている人に対するアドバイスとして、「たぱぞう」という人が「自分の媒体を持つということは、自由を手に入れることにもなるので、やって損はないですよね。自分の個性をエッジとして続けていけば、そこで認めてくれる人が出て花開く可能性がありますよ。」と述べている。

生意気ながら私も同じことを感じている。「自由」とまで言うのは、ちょっと大げさかも知れない。けれど、自分の媒体を持つということは、自分が主体のメディアを持つということ。まだ花開かないけれど、「認めてくれる人」も、わずかながらいる。

「gemomoge」という人は、「人の真似をしないでやってみればいいんじゃないかなと思います。自分の一番変なところを突き詰めて、周りに流されずにそこをブルーオーシャンとしてやっていくと、新しい人たちも集まってくるのではないかと。誰かの真似をするのはつまらないですから。」と述べる。好きこそ物の変態なれ、ということか。

これからも書くぞー。

くぼりこ「爆弾犯と殺人犯の物語」

第43回小説推理新人賞受賞作。雑誌を買って読んだ。以下ネタバレあり。

主人公の男は高校時から爆弾づくりを趣味にしていて、片方の眼が義眼の女を愛するようになり、結婚する。しかし女は、男がかつて作った爆弾の爆発で飛んだパチンコ玉によって片方の眼をつぶされていた。女は夫が犯人であると気付いていないようだが、気付いているようにも感じられる。二人の会話は真相に近づいたり遠ざかったりする。女がかつて不倫していた男の娘が女を訪ねてくる。娘は、女がかつてベビーシッターとして面倒見ていた相手であり、片目を奪った爆弾の箱を開いた張本人でもある。主人公の男の爆弾づくりの趣味は現在も続いていて、山奥に作業場も持っている。かつて、その場所の近くに隕石が落ち、そこに公園ができて隕石落下記念のモニュメントが作られる。主人公はその場所で爆弾を爆発させ、後日そこを訪れた際、黒い携帯電話を見つける。その持ち主が義眼の女で、二人はそれで出会う。携帯電話は、義眼の女が隕石の公園で不倫相手の男を殺した時に落としたものだった。…主要キャラが特異で、サスペンス的要素が強い小説だと思った。

「真面目さ」は人的資本

先日も書いた『ナニワ金融道』の運送屋の話だが、読んでいてもう一つ、気付いたことがあった。

運送屋の社長・赤名の保証人になる背口は、真面目でよく働くから、という理由で帝国金融の社長が評価し、保証人として認められるのである。

帝国金融社長は、赤名に貸す400万円は、赤名でなく背口に貸したのだと思え、と赤名を担当している灰原に言う。つまり、背口は真面目であることが信頼されて、帝国金融からお金を借りることができたのだ。

お金とは信用を数値化したものだ、と聞いたことがある。借金はあまり良いことではないだろうが、お金を借りることができるのは信頼されている証拠であることも否定できない。

信頼があるということは、その人は価値ある人的資本を持っている、ということではないか。そして真面目であることが信頼につながっているのだから、「真面目さ」は人的資本だろうと思うのである。

失敗は人間性に起因する

本多信一『内向型人間の仕事にはコツがある』(大和出版、1997年)に、内向型の人間が成功する法則として「成功したいなら、まず“我が失敗の研究”から入るべきである。」とある。

なぜかという、失敗とは、どうも「その人の人間性に起因」しているように思えるからだ。むろん、注意が足りなくて失敗した、思わぬ不幸が重なって失敗した、という事例はあるけれど、本人の人生を左右するような大失敗とは「どこかその局面がその人と合っていなかった」という場面も多いものである。その点からすると、
「成功は幸運・ツキに左右されるが、失敗は各人各様の独自性に基づいている」
 と言えるのだ。

「成功はアート。失敗はサイエンス」と聞いたことがある。上記引用と合わせると、失敗を科学によって解明し続ければ、いずれ成功を手にできると見ることができそうだ。

トップギアは馬力がない

青木雄二ナニワ金融道』を読み返している。世の中は人がお金を血と汗で回していて、その人間は欲にまみれた本能的な生き物であることがよく分かる。いや、そういう人間ばかりを描いているのだ。

運送屋の社長が新車を買うために400万円を帝国金融から借り、しかし返さないまま行方をくらましてしまい、保証人になった男がケツを拭く、という話がある。だが、背口というその男がケガをしてしまい、最終的にはその彼女がソープに送り込まれる、という残酷な内容である。

主人公の灰原は、独立して休むことなく働き続ける真面目な背口と話し、この人なら大丈夫、と思って保証人になってもらおうと、帰社して先輩の桑田に背口の働きぶりを伝える。

灰原 保証人は全速力で走りつづけている感じでした
桑田 全速力ゆうてトップギアはローと違って馬力はないで

桑田の言葉は何気ないものだが、なるほどなぁと思った。考えてみれば普通のことだが、頑張ってバリバリ働いている人を見ると、多くの人は灰原のように感心して高く評価してしまうだろう。稼ぐ力は、勢いがあればいいというものではなく、爆発力はなくても安定的であることが大事なんだと思う。

HSPとHSS

高野優『HSP!自分のトリセツ 共感しすぎて日が暮れて』(1万年堂出版、2019年)、面白く読んだ。

HSPの本は巷に多く、これまで何冊か読んだが、本書は著者がHSP(Highly Sensitive Person)であり、なおかつHSS(High Sensation Seeking)でもあるのが、過去に読んだものと違っている。HSS型HSPの人は世の中に6%しかいないマイノリティで、好奇心旺盛なのに繊細なのでつまずきやすく、ゆえに「生きづらさ」を抱えている、などと言われている。しかし高野さんは、本書で生きづらさを前面に押し出したりせず、卑屈になったりもしていない。その点が、好感が持てる。

この本にも書いてあるが、マイノリティとか弱者は、その弱さを振りかざし、偉そうに権利などを主張し始めた途端、タチの悪い強者になってしまうと思う。

この本にはHSP(子供版HSPのHSCも)とHSSのセルフチェックがある。やってみたら、私はHSPでありHSSでもあった。

レファレンスサービスに感謝

地元の近所に芥川賞候補になった作家が住んでいて、地元で同人誌を出していたという情報を掴んだので、地元の図書館で独自にいろいろと調べてみたが、同人誌を見つけられなかった。それでレファレンスサービスに頼んでみたところ、すぐに調べてくれて、日本近代文学館に一部所蔵されていると回答してくれた。サービスに感謝!である。

レファの窓口はたいがいどの図書館にもあるので利用者は多いのだろう。実際レファ協のツイートを見ると、小学生とか、大人でも研究者でない人がレファを頼って調べ物をしていることが分かる。しかし私はレファを頼ったことがあるという人に会ったことがない。不思議である(使ったことがあるかをいちいち確かめてもいないが)。