杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

板橋区立郷土資料館コレクション展「いたばしの文化財」

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板橋区立郷土資料館では10月1日からコレクション展「いたばしの文化財」を開催している。これは、東京都で毎年11月3日の文化の日の前後に行っている、都内の文化財の一斉公開「東京都文化財ウィーク」の一環で開催したもの。

今回は「稲荷台遺跡」(1984年登録)、「不動の滝」(2019年度登録)、「安井家文書」(1985年度登録)、「松戸一浩家文書」(2017年登録)、「陸軍板橋火薬製造所跡」(2017年登録)の五つを紹介していた。

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稲荷台遺跡

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安井家文書

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松戸一浩家文書

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陸軍板橋火薬製造所跡

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「不動の滝」は写真と説明のみの展示で、現物は資料館から歩いて数分の所に

どれも、それぞれの時代の政情や生活を伝えていて興味深い。11月29日までやっているので、また時間があれば足を運んでみようか。

ライターと作家2

 フリーのライターと言えば、小説家も同じようなものだが、作品という名刺を持っている。その名刺すらも持たないのがフリーのライターだと、酷な言い方をすればできた。商売柄、そういう連中の取材を受けたりすることもある。
 フリーがいいのか悪いのか、私にはなんとも言えない。筆一本にすべてを賭けているという点で、同じ仕事をしている正社員の雑誌記者より親しみを感じることもあったが、覆面で書いているという屈折と自己卑下が鼻につくこともあった。

北方謙三「かけら」(『帰路』(講談社文庫、1991年)所収)からの引用である。わずか数行だが、ライターと作家の違いが明確に記されていると思った。フリーか勤め人かはあまり関係なく、屈折や卑下がある人が少なくないのでは?と、漠然とながら感じている。「ライター」として雑誌などに顔を出して広く活躍している人も多いが、顔と名前を出せば、または自著を出したりすればそれは立派な「作家」なので、ここで言うライターは署名原稿すらない人である。

ライターと作家は、毎日やっていることは同じようなものだろうが、実は天と地ほども違う立場にある。

北方謙三「襞」

北方謙三「襞」(『帰路』(講談社文庫、1991年)所収)は、浮気をした友人が、浮気相手の女が妊娠したと思い込み(実際は妊娠しておらず、生理を口実に友人を困らせていた)、その処理を主人公である作家の「私」に依頼してくる話である。友人の依頼内容というのが、その妻への憎しみを晴らすことも含んでいてややこしいのだが、「私」は作家らしい眼で冷静に事態の推移を眺めている。「私」はあくまで視点人物に過ぎず、真の主人公は友人と言うべきだが、ときどき作家として生きる悲哀めいたものが見え隠れする。

主な舞台は渋谷で、エンタメ作家の「私」が純文学を志していた頃から利用していた店で友人との会話が繰り広げられる。「私」はエンタメに転向してからも二年以上はその店に通い、打ち合わせと称して編集者と飲んでいた。「勘定も自分で持った」とある。編集者の中には「私」が飲み代を払うことに難色を示す人もいたようだ(中にはあっさり払わせてくれる人もいたが)。立松和平の解説では、本書はこの「襞」を含めて私小説である可能性が仄めかされているが、飲み代の支払い云々の部分が事実を元に書かれたものだとすると、編集者の中には自分が払って当然、と思っていた人がいたのだろう。

以前、八木義德についての講演を聞いた時、昔の作家は本を出すと編集者を家に招いて歓待したもので、八木も同じようにしたそうだが、今の作家はそういうことはやらない、と登壇者が話していたのを思い出した。

とまれ、「襞」を読んで、登場人物がわずかでも、その人物像と人間関係の設定がちゃんとされていれば味わいある短篇ができることを改めて感じた。

中村文則「セールス・マン」

手元にあった「文藝」2011冬号は、第48回文藝賞受賞作「クリスタル・ヴァリーに降りそそぐ灰」を掲載しているのだが、他に掲載されている小説の中に中村文則の短篇「セールス・マン」があった。中村文則っていわゆるセールス、企業での販売や営業の経験あったっけ?…だとしたら実体験を反映していて面白そうだ、と思って読みはじめたのだが、6ページしかないごく短い作品で、やはりリアリズムで書かれたものではなかった。

この小説の世界では、誰もが憂鬱とか性欲とか神経症など、内部に抱えているものを交換できる。あるいは「雑誌記者の身分」といった属性も交換可能である。家にたくさんの蜘蛛が這い回って妻と一緒に困ってしまった主人公は、引っ越すお金を稼ぐために自分が抱える「憂鬱」を「セールス」するが、話はおかしな方向へ転がっていく。。

何らかの寓意を表そうとしたのかも知れない。この小説に関する批評は一つも読んでいない。

板橋区立郷土資料館「甲冑刀装」後期展示

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板橋区立郷土資料館では9月18日から「第19回板橋区伝統工芸展 甲冑刀装」の後期展示を開催している。展示物を前期展示から少し入れ替えており、さっそく足を運んだ。桃山時代の製作とされる「変塗伊予札丸胴具足(かわりぬりいよざねまるどうぐそく)」は、冑に羽根がついていて面白かった。

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変塗伊予札丸胴具足(手前)

また、本展開催中の9月、板橋区在住の甲冑師・三浦公法(ひろみち)氏の初期作品「朱漆塗日根野頭形兜(しゅうるしぬりひねのずなりかぶと)」が思いがけず発見されたそうで、後期展示開催にあたり展示品に加えられた。

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朱漆塗日根野頭形兜

前期展示の感想もこのブログに書いたが、「赤羽刀」の妖しい光は、やはり創作意欲をそそるものがある。

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北方謙三の私小説

北方謙三『帰路』(講談社文庫、1991年)に収められている短篇「なずむ歳」は、ハードボイルド小説を書く作家の「私」が、煙草をもらった男や学生時代の先輩と会話をするだけの短篇なのだが、男が仕事をして生きることの悲哀のようなものが滲んでいて、北方先生らしい味わいがある。

本書の解説は立松和平が書いていて、小説の主人公が作家であるから、本書は(「なずむ歳」のみならず全作品が)どうしても私小説の体裁をとる、と述べている。作品に書かれていることがどこまで北方先生の体験なのかは分からない。しかし小説には「大学は駿河台だった」とあり、北方先生の出身である中央大学は1926年に駿河台校舎が完成し50年余り続いたそうなので、北方先生は1973年卒だから駿河台校舎に行っていたことになる。

「なずむ歳」は、上述の通りの内容で、ストーリー性などはほとんど見られず面白くもないのだが、作家として生きる辛さを緯糸として織り込む手際は、やはり巧いと感じる。

決めなくていい。2

 小説を書くための心理状態の管理をいうならば、長篇であればなおさらのこと、書きすすめてゆくその日の労働がカヴァーしうる部分より遠くを見てはならない。むしろ前方のことは放っておいて、その日の労働にのみ自分を集中させうるかどうかが、職業上の秘訣である。私が経験によってそれを知ったのは『万延元年のフットボール』を書く際のことだった。

と、大江健三郎『私という小説家の作り方』(新潮文庫、2001年)に書いてある。長篇小説を書く心理状態の管理として正しいかどうかは別として、生きていく上で、現在の自分の意志や行動ではどうにもなりそうもないくらい先の未来のことは、細かく計画しておく必要はない、と私は最近気がついた。

仕事を効率的かつ楽に進めるには、終わりを見通して、それに向かって計画を立てて最短距離で進むことである。ところが、とても終わりがリアルに見通せそうにない長期にわたる仕事の場合、いつまで経っても終わりがこないのでイライラさせられる。終わりが見えないこと自体が、とても苦しいのだ。だからこそ、そういう場合は無理に終わりを見ようとしなくていい。見通せるところまでしか見ず、見通せるところまでで計画を立てて、コツコツとやっていけばいいのだと思う。

「キャリアドリフト」という言葉がある。ビジネスパーソンのキャリアについての考え方の一つで、キャリアの大まかな方向性は定めておくものの、あえて細かい計画を立てて急いで行動したりしないことだ。この言葉は、上記と同じことではないだろうか。つまり、ちゃんと見通せるところまでは計画を立てて取り組むが、さらに先、どうなるか想像し切れないところは大まかな方向性のみ立てておくだけにして、あまり深く考えないことが大事、ということ。大江の言う通り、自分の現在の意志や行動がカヴァーできる部分より遠くを見てはならないのだ。

私がそのことに気づいたのは、自分の現在の状況から二つか三つくらいステージを上がった先で起きるであろう出来事について、無理に計画を立てようとして立てられず、一日中苦しい思いをしたからだ。そんなに先の未来のことなんて決めなくていい、無理に決めようとするからそれがストレスになり、今が苦しくなるのだ、と気づいた。

未来のことは必要以上に決めなくていい。大きな方向性をぼんやりとでも描いておけば、自然とそちらへ流れていくはずだから。