杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

バカは勉強しろ。

二十歳を過ぎた頃から勉強してきたつもりだが全然足りない。

単に本を読んで情報をインプットすりゃいいってもんじゃなくて、その情報を使って行動し、結果につなげてみないことには実のある勉強をしたとは言えないんじゃないか。

例えば政治にしても経済にしても、勉強して世の中のことを知っただけでは駄目で、勉強で知ったことを使って行動して、人とも関わってみなくては自分の血肉にはならないと思う。歴史だって地理だって、「いま・ここ」ではない時代・場所のことを学ぶだけでは足りなくて、それを「いま・ここ」で生きることに活かして初めて生きてくる。あるいは小説だって文学研究だって、一冊にまとめて他人に読んでもらい、反応をもらってなんぼだろう。

バカはとにかく勉強しなくちゃいけない。けれども勉強しただけでは駄目で、学んだことを使って行動しなくちゃいけないと思う。それが本当の勉強なんじゃないかな。だから行動していない人は要するにまだまだバカで、だからやっぱりバカは勉強しろってことになる。

緊張と弛緩

学生時代にバルザック関連か何かの本を読んで、藝術家にとって仕事は遊びで休暇こそ義務だ、とか何とか書いてあってひどく感銘を受けたのを覚えている。藝術志望の学生らしく、世の中を巧く言い当てた(ように見える)逆説的言説に魅了されたのである。

今ではそういう考えはぜんぜんないが、リラックスするのは寝る時くらいにして、平日週末関係なくおおむねいつでも緊張していたい、神経を張り詰めさせていたい、という思いはある。平板な一日、ただ過ぎていく時間をどうにか意味のあるものにしたいと思っている。

だから、暇だから遊ぼう、などと人から言われると困ってしまう。暇なのはけっこうだが、私を暇つぶしの相手にしないでもらいたいし、私は他人を使って暇つぶしをしようとも思っていない。何か面白そうなことがあるかも知れないと思って付き合ってみることは多いが、実際に会うとやはり特に用事があるわけでもなく、昼間にも関わらず酒を飲むとか、予定もないのにどこかに出掛けようとか、まぁだいたいそういう展開になる。決まってぐだぐだになり、週末の貴重な時間を浪費してしまったと思って後悔する。

こういう関係は文字通り「小人交甘如醴」で、ずるずるベタベタ意味もなくくっつき続けて、やがて互いに感情剥き出しになって破綻する。両者とも、初めはそんな展開になるなどとは決して思っていなかったはずだが、他人を自分の感情の捌け口にしてしまうとそうなってしまうのである。

閑人の方に悪気があるはずはなく、悪意があって遊びに誘うのでも断じてない。だから良い悪いではなく、自分とは緊張と弛緩に対する意識が違い、両者を切り替えるタイミングも異なるんだと思うしかない。そして、いい人ぶって相手に合わせたりせず、自分の意志や価値観についてはっきり相手に伝えることが大切だと思う。

創作雑記11 主題とキラーインフォメーション

プレゼンテーションに使う企画書の中で最も力強く相手に訴えかける、最重要の言葉を「キラーインフォメーション」というそうだ。この言葉は、広告業界など、クリエイターがクライアントにプランを提案したりする世界でよく使われている。私は、プランニングを学ぶ中で手にとったある本にこの言葉が載っていたので記憶している。

では、企画書ならぬ小説を書く際、企画書におけるキラーインフォメーションに相当する言葉は何だろう、と考えたことがある。キラーインフォメーションがクライアントに突き刺さる言葉なら、小説の読者に最も突き刺さる言葉はなんというのだろう、と。

恐らくそれは、小説の主題を最もよく表現した力のある言葉、になるのではないか。例えば三島由紀夫の『仮面の告白』は、新潮文庫の裏表紙の短文を読むと、「否定に呪われたナルシシズム」が主題だと推察される。しかし私が知る限り、たしか同作にそんな言葉はなかったはずだ。とすると、小説の本文の中に、その主題を最もよく表す言葉があるだろう。

ならば具体的にどんな言葉が小説中に出てきて主題をよく表しているかというと…情けないことだが、私にはすぐ思い浮かんでこない。『仮面の告白』以外の小説で考えてもすぐ出てこない。一方で、具体的な言葉でなく、ある段落全体から浮かび上がってくる観念が主題をよく表していることもあるかも知れないと思う。

これが分かりやすいのは宮崎駿のアニメだと思う。例えば『風の谷のナウシカ』だったら「多すぎる火は、何も生みやせん」とかは主題をよく表現していると思う。『天空の城ラピュタ』だったら「土から離れては生きられないのよ」などがそうじゃないか。

まぁ映画だから、主人公のセリフを通して主題を言わせることになる。小説だとセリフに表現される場合や描写などに表される場合など、さまざまだろうと思う。

べつに小説を書く上で主題とキラーインフォメーションをことさら意識する必要はないだろう。ただ、読んでいて肚に落ちてくる言葉、作品の印象を決定づける強い言葉があれば、その小説は主題と文章がよく通じ合っていると見ることができそうな気がする。逆に読者に訴えかけてくるような言葉がどこにもないなら、その小説は主題がふにゃふにゃな不出来な作品だと言えるのではないか。まぁ、考えてみれば当たり前の話だが。

現在、小説の新作に取り組んでいるが、今回の作品の主題を表す言葉は、どこに書かれている、なんという言葉だろう、と考えながら読み返してみたりする。

「二人の老サラリーマン」2

司馬遼太郎『ビジネスエリートの新論語』(文春新書、2016年)の「二人の老サラリーマン」は、司馬が出会った文字通り「二人の老サラリーマン」のエピソードが書かれている。

二人目は高沢光蔵という、新聞社の地方版を作る部にいた人だ。元は「新聞発行人」という肩書きを背負い、とはいえ本当の発行人ではなく、新聞記事に政治的な問題があった時には社を代表して軍人に引っ張られて「油をしぼられる」役を務めていたというから、かなり特殊なポジションだったようだ。

司馬はこの人の相貌に、戦争中に蒙疆で見た隊商の隊長らしき人の面影を見出し、好感を持った。やがて別れてしまうが、強く印象に残る人物だったようで、本書の文章からは愛惜の念が感じられる。

高沢という人はそもそも自分は記者職が向いていないと自覚していたようだ。

「煮つめた云い方をすれば、新聞記者とは勝負師だす。勝負の鬼にならんけれゃええ記者とはいえまへん。わしゃ若いころ早稲田にいたが、どうもあの早慶戦というやつがわからんかった。つまりなぜああみんなが熱狂するのか今でもわからん。いうたら、勝負の音痴だんな。こんな男に新聞記者が勤まるはずがない。それですっぱり廃(や)めてしもた」

と語ったそうな。この「煮つめた」の使い方は正しい。近年私は「煮詰まる」を「行き詰まる」の意味で誤用しているライターを何人も見かける。

さてこの「新聞記者とは勝負師」は、なるほどそういうものかもと思った。ライターも、インタビューをしている時間は相手と言葉を使って切り結ぶ戦いのようなものだし、竹中労の本を読むとルポライターにもそういう勝負師の側面があるのが分かる。新聞記者も、自らの足で巷を巡り、特ダネを仕入れて世に発信するという、一種の勝負をしているのだろう。

つまり、物書きは勝負師だと思う。自ら見つけた題材に賭け、時間と労力を注いで読み物にして世に発する。それが当たるかどうかは、究極は運次第なのだ。勝負師をやる覚悟がないと、物書きは務まらないかもしれない。

「二人の老サラリーマン」1

司馬遼太郎の『ビジネスエリートの新論語』(文春新書、2016年)は、発売当時、司馬の「20年ぶりの新刊! 初の新書!」と帯に書かれていたのが面白そうだったから買った。昭和30年代に司馬の本名(福田定一)で刊行された幻の本だというので、けっこう話題だった。元のタイトルは『名言随筆サラリーマン ユーモア新論語』。

買ってから長らく「積ん読」になっていたが、このたび部分的に読んだ。どうして読んだかというと、買った時から目次の中に気になっていた箇所があり、今回、その箇所に関連することを考える機会があったからだ。そのことは、目次が気になった時から半ば予期していた。「積ん読」は私にとって、しばしばそういう「後で必ず読むことになる確信」を伴うものだ。

さて気になっていた目次とは、本書の第二部の「二人の老サラリーマン」で、どうして気になったかと、なんだかバルザックの小説のタイトルにでもありそうな、人間味ある老人のエピソードが載っていそうな感じがしたから。それが最近、サラリーマンとしてものを書く、ということについて色々と考えることがあって、ページを開いた。

「二人の老サラリーマン」は、司馬が新聞記者時代に会った文字通り二人の老サラリーマンとの交流が書かれたもので、それぞれ味わいがあった。冒頭にはゲーテの言葉「涙とともにパンを食べた者でなければ人生の味はわからない。」が掲げられている。

一人目は「松吉淳之助」という記者で、司馬が最初に勤めた新聞社で整理記者をしていた人。存在感の薄い人だったようだが、司馬はその人から新聞記者の技術をはじめ、大正時代以降の新聞業界事情のようなものを、仕事後に焼酎を飲みながら聞いたらしい。後年、松吉淳之助のいた新聞社はつぶれ、今はどこにいるのかすら分からない、といった書き方で締めくくられている。

面白かったのは、司馬の目に映った新聞記者という職種の変遷である。

彼(松吉)は、大正二年に国民新聞に入って以来、朝日新聞、報知新聞、時事新報などを経て最後の京城日報にいたるまで、現在の社を除いても五回ばかり社歴を変えている。当時の新聞記者の生態は多くはそうしたものであったようだ。社のために働くというよりも、戦国時代の武芸者が大名の陣屋を借りて武功をたてたように、彼らは自分の才能を愛し、自分の才能を賭け、その賭け事に精髄をすりへらす努力を傾けてきたというほうが当っている。

松吉はいわゆるサラリーマンとして出世するのをよしとせず、しかし出世しなかった自分を「大成」したと思っていたようだ。司馬は、そんな松吉をいっときは「完全な人生の落伍者であり敗残者ではないか」と思うが、自分は大成した、と淡々と語る松吉に、職業人の矜恃を見る。

のち司馬は松吉のいた社を辞め別の会社で記者をすることになるが、松吉の影響から「まるで武術の修業者のような気持ち」で、会社にぶらさがることなく一人の記者として腕を磨くべく職務に当たる。

けれどもやがて、そういう自分の態度さえも滑稽に思えるようになったようだ。時代の変化の中で、新聞記者の職業意識が急速にサラリーマン化していったらしい。「よきサラリーマンでないものは、よき新聞記者でないということさえ、明確に云えるのではないだろうか」とまで述べている。

これは昭和30年代に司馬が感じたことだが、昭和後期に生まれ、勤め人ライターとして平成の後半を過ごし、令和の現在も続けている私は私なりに感じるところがある。今もこういう職業人意識と勤め人意識の差異は存在している。例えば、ライターという「職」を手に持つ人が、プロダクションの中でサラリーマンとして出世していくのか、はたまたフリーとして野武士のように色んな新聞社や出版社と付き合いながら生きていくのか、といった選択の瀬戸際に立たされるのは今でも多くあるだろう。

どちらを選ぶかは人それぞれだが、真に職業人意識を持つ人であれば、会社における出世街道に背を向けて自らの道を進むことになるに違いない。その点、松吉という人はサラリーマンであり続けたわけで、それほどの職業人意識があったのならどうしてフリーにならなかったのか、という疑問が私にはある。むろん、当時の記者事情や業界事情などに私は詳しくないので、その頃にフリーランスをやるのがどういう意味を持っていたのか、よく分からない。

職業人を続けるのは簡単なことではないと思うし、勤め人であれフリーランスであれ、本人が後悔しない人生ならそれでいいと思う。けれども、自分の人生を捧げるに足る「何か」が自分の内部にない限り、道も何もないわけで、よって大成もクソもないと思う。記者やライターなら、それは書くべき題材があるかどうか、ということではないだろうか。

創作雑記10 ストーリーと主題の対応図

こないだは、小説におけるストーリーと主題は旅における地図とコンパスではないか、と書いた。

地図とコンパスがあれば旅ができる。つまりストーリーと主題が用意できていれば小説が書ける。…のではないか。

私はこのたび、ストーリーと、それを構成するエピソードに対しそれぞれどのように主題が響いてくるのかを図にしてみた。旅の計画に例えれば、地図上に行程の線を引き、その場所ごとでどの方角に向かって進めばいいかを明確にした、ということになると思う。

これをやると、だいたい迷わずに進める(詰まらずに書き進められる)んじゃないか。もちろん、旅する中のそこかしこで色んなトラブルが発生して進行が阻まれるように、書き進める中でも細かい心理の動きや描写の仕方などについて迷いや違和感が出てくることはあると思う。しかし、大筋が固められていて、どの部分を力を注いで描写すれば良いかも分かっているのだから、あとは根気強く一つずつ乗り越えていけばいい。

さらに私はこのたび図をまとめてみて、もう一つメリットがあることに気づいた。…まぁもちろん、小説を長年書いている人とかプロのベテラン作家であれば原稿を読むだけで分かるだろうが、このストーリーでは登場人物が足りない、あるいは、この人物が今の状態では弱すぎる、といったことまで分かってくる。旅で考えれば、今回の旅程はこの場所だけでなくこっちにも足を伸ばす方が良い、ここの滞在時間はもうちょっと長い(短い)方がいいだろう、などが分かるということか。

見える化」とよく言われるが、創作ノートはまさに小説を「見える化」するためにあると思う。自ら書いている小説をよく知りたいならば、登場人物表や相関図、そしてストーリーと主題の対応図を充実させていくと良いだろう。

人生は楽しいか?

いくたりかの知人が充実した青春時代を送っていたことを知り(少なくとも私からはそう見えた)、気が沈んでしまった。

知人たちがそれぞれ、学生時代とか独身時代に世界の各地を旅し、未知の世界を自ら開拓した喜びを全身で表しているような姿の写真を、いくつも見たのである。こいつらの人生、かなりのリア充じゃねえかよ…と思わず考えてしまい、嫉妬と、我が身の情けなさを思って気が沈んだ。。

私も大学時代に一回だけグアムへ旅行したことがある。とはいえ、まぁ誰もが行くような観光地を少々回っただけのことで、ツアーだったし、自ら旅程を組んで出掛けていき現地の人と話したり交渉したりしたわけでもなかった。

以前このブログで書いたが、私は学生時代に自我の危機に陥り、一日も早く藝術家としての自我を確立させたいと焦燥に駆られて、やがてこじらせてしまった。これは青春期以降、今に至るまで私の人生に影を落としている大問題で、これを解決しないことには人生明るくならないのである。

そういう、谷底を一人で歩いているような私にとって、人生はすでに単純な「楽しいもの」ではなくなっているような気がする。もちろん、生活の中で単純に「楽しい」と感じる瞬間はある。けれども、人生が充実するとすれば、それはやはり上に述べたような青春期からの悲願を成就させた時だろう。そこに辿り着くには執念みたいなものが必要で、それを日々の生活を送る中の奥深くで燃やしている状態だ。たとえ悲願成就したところで「イェー!」とはならないんじゃないかな。。