杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

遠心力

少年期の好奇心

佐伯一麦は1995年からノルウェーに渡り、長篇『マイ シーズンズ』(幻冬舎、2001年)の着想を得ています。このノルウェー行きは佐伯にとって恐らく二度目の海外渡航でしたが、その背景にあった事情が『Nさんの机で』(田畑書店、2022年)の「スーツケース」で述べられています。

 呼吸器の病を得て肉体労働は続けられなくなったので、それまでの電気工の体験を活かした作風から変わることを余儀なくされた私は、健康の不安はあったものの、いったん外へ出てみようと思った。同じく鬱に悩んでいた開高健が、遠心力と求心力の往還で小説を書き続けたことも頭にあり、ここは遠心力を働かせるときだと判断した。社会に出てからはずっと眠らせていた、少年の頃にアマチュア無線で海外のハム仲間と交信して外国に感心を抱いた好奇心が、頭を擡げるのも覚えた。

ここでいう「遠心力」とは、内向したり内省したりせず、積極的に外出して人に会おうとする力を指しているのでしょう。

鬱状態の時はとにかく休むのが良いといいますが、散歩などして日光を浴びるのも良いらしいし、ストレスにならない程度なら人とコミュニケーションを取るのも良いと思うので、外へ出てみようという判断は良かったと思います。

何より、遠心力を働かせようという気持ちになったこと自体が、鬱から脱出しつつある状態にあったことを物語っているのではないか。本当に鬱の時はそういう気になることすらないだろうからです。

また私が興味深いのは、少年時代の好奇心が甦ってきたのを佐伯が感じ取っていることです。社会へ出てからはそれを封じ込めていた、というのも面白い。私自身、少年期に愛していた様々なことを学生時代くらいからは断ち切って生きてきて、鬱めいた状態になったあげく、最近はそれを取り戻そうと意識しているからです。