杉本純のブログ

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「映画青年」の思い出

愛惜する私小説

姉妹ブログ「杉本純の創作の部屋」で3月21日から連載を開始した小説「映画青年」。わずかではありますがアクセスがあるようで、ありがたいことです。ちょっとうれしいので、本作にまつわる思い出を少々。

この小説は私自身の実体験を濃厚に反映した私小説であり、何事かを成し遂げようとして何事をも成し遂げられなかった悔恨と虚しさを描いた点で、愛惜している作品です。

自分は何者かになれる、その素質と可能性を持っていると思いたいものの、そんなものは自分は持っていない、という痛切な現実。それが学校の「卒業」という、単なる時間的な節目によって決定打を押されたようになり、否応なしに社会へ出て行かなくてはならないという、やりどころのない不完全燃焼の悔しさ…。

本作は映画という藝術を志した青年に起きたささやかな悲喜劇ですが、それは映画や藝術に限らず、学問とか恋愛とかスポーツとか、青年にまつわるあらゆる行為に起こり得ることだと思います。学問青年、恋愛青年、スポーツ青年などなど。世の中にはそういう若者が少なくないでしょう。

もし成功していたら…

「映画青年」が描いているのは挫折の瞬間ではなく、挫折した後の、ただ虚しく過ぎ去っていく日々です。それは本当に虚しいとしか言いようがないもので、まあ当時の現実の私は酒を飲み歩いて能天気にやっていましたが、もし挫折でなく何らかの達成か成功を成し遂げていたら、その後の人生は大きく変わっていたに違いありません。

まあ当時の私は愚かだったので、成功などしようものなら鼻高になり、さらに愚かになって、どこかで大失敗をしていたでしょう。

そう思うと、私の映画青年としての挫折と不完全燃焼は、虚しくて辛いものではあったものの、私に勉強の意味と価値を教えてくれた貴重な体験だったとも言える。やはり人間万事塞翁が馬なのです。