杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

面白うてやがて悲しき…

ライターの「引退どき」

本多信一『会社を辞めて「成功した」50の生き方』(ぶんか社、2002年)をぱらぱら読んでいます。

本書は、職業や人生に関する無料相談業を続けてきた本多さんが、応じた相談の中で感動した事例を紹介して読者の人生選択に役立ててもらおうというものです。

第5章「やりがいにあくまでこだわる」の「case6 フリーランスの、将来よりも「今を生きる」生き方」というのが面白そうだったのでまず読んでみました。中堅出版社で5年間修業した後、フリーライターになった人の話を紹介し、本多さんの見解が述べられていました。

本多さん自身もフリーライターの経験があり、「フリーライターの仕事は面白いが四十二歳ぐらいが引退どき」と思っていたらしい。今まさに42歳の私は、フリーではありませんがライター職に従事しており、ドキっとしました。本多さんは35歳くらいの時期に、担当編集者が出世したりしていくのを見て「引退どき」を直感したそうです。

「面白うてやがて悲しき自営業」という表現がフリーライターにはピッタリなのだ。

とあります。

次の一手を考える

「面白うてやがて悲しき自営業」は、松尾芭蕉の句「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」を真似たものです。この句は鵜飼の様子を詠んだものらしく、見ると最初は興味津々で面白いが、時間が経って終わってしまうと寂しい、といった意味です。

この「面白うてやがて悲しき」は、フリーライターはもちろん、編集プロダクションのクリエイターにかなりぴったり来る表現だと思います。雑誌などをつくる過程でさまざまな人に会い、ものづくりをするのは刺激的で楽しいものですが、年老いて終わりを迎えた時に自分に何が残っているのかというと、キツかった、でも楽しかった、といった思い出と、仲間とのわずかな絆くらいではないか。知識や技術は仕事を続ける中で経験値として積み上っていくものの、単にそれだけで、単価を上げられる専門性や資格が身につくわけではありません。労働集約の世界なので、若くて体力があり、人の言うことをよく聞く働き者は大活躍できますが、体力気力が衰えてくれば使えなくなり、やがてお役御免になります。残るのは思い出や絆くらいではないかと上に書きましたが、それがあるならまだましな方で、それすら残らない人も少なからずいるのではないでしょうか。また、きちんと運用していなければ、残るお金もわずかでしょう。

そういう現実を踏まえ、本多さんは、フリーライターやカメラマンの若い相談者に対し、老後のことを考え、四十代で仕事がなくなってからの次の一手を考えておくよう助言しているとのことです。

 資格を取得するのもよく、会社をつくるのもよく、編集プロダクションをつくるのもよい。努力して著述業へ進むもよい。これは、カメラマンならライフワークがらみの写真集を出す準備をすることと同じ。

深く同意します。このブログでライターのキャリアについての見解をいくつか書きましたが、マルチに活動する中で専門性や経営の知見を身につけ、単価を上げていく道へ進まない限り、ステップアップはできないでしょう。そして、ただひたすら時間が過ぎていきます。