杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

自分と徹底的に向き合う

先日、複数の同業者と話す機会があり、近ごろの自分の仕事上の課題とか、身近にいる後輩たちにどんな指導をすれば良いかとか、そもそも自分はこの先どうしようと思っているのか、将来の目標は、とかさまざまな話題について言葉を交わした。同業者たちがどんなことに悩み、迷っているのかが感じられて、有意義な場だったと思う。

しかし、話はとっちらかり、視点もレイヤーもばらばらになってしまい、そもそも議題が何だったのかも分からない、という有り様だった。皆がお互い視点とレイヤーの異なる話をして、それにお互い「共感」したりして、話があっちこっち飛んでしまったのだ。

私はその場ではあまり口を挟まなかったのだが、その後でばらばらになった話を整理しようとして、外を一時間ほど散歩しながらあれこれ考えた。そして、話題はばらばらだったが整理することはできたと思った。やはり、問題が複数ある場合は一緒に考えず、細かく分解し整理して一つずつ解決していくことが肝要であると思う。

そして、上に書いた「共感」というものの良さと悪さに気づいた。共感は他人と精神的につながることだから、しばしば気持ちいい。しかし、だからといって共感ばかりしていると、自分を見失ってしまう。それでは自分の問題も、その解決方法もわからなくなってしまうと思う。共感自体はしてもいいが、他人との妥協を一切排して、自分自身と徹底的に向き合うことが前提にあるべきではないか。