杉本純のブログ

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佐伯一麦「うなぎや」

文學界」2021年8月号には佐伯一麦の短篇「うなぎや」が載っている。これは連作『アスベストス』の「その四」になる作品で、本作をもって連作は完結という情報がネットに出ている。

作品は半私小説ともいうべきものだが、内容はとてもいい。これは連作タイトルの通り、アスベスト禍にまつわる事象を取材して書いた小説と思われるものの、私は恥ずかしながら『アスベストス』という連作の存在を知らず、「茂崎皓二」という佐伯自身を思わせる主人公の名前も初めて知った。

内容はすばらしい。松谷祐二という、尼崎出身の男がうなぎやの修行をして、独立するところまでいくのだが、身に覚えのないアスベスト吸引が原因とされる中皮腫になり、志半ばで死ぬ。主人公である茂崎は、自らもアスベスト禍に苦しんだ経験があり、それを扱った作品を書く過程で松谷のことを取材する。作品の冒頭と末尾は、茂崎が松谷の店でうなぎを食べようとしていて、その視線の先に大将として働く松谷の姿が映っているのだが、それは茂崎の想像の世界である。

私がすばらしいと感じたのは、松谷という一人の人間の人生が、尼崎という街の歩みとともに、その背景にある日本の経済発展とも重ねて描出されているところである。そのきめ細かさは、佐伯自身がモデル人物を細かく取材したのが窺えるもので、読み応えがある。

この作品の素材を一つひとつ、事実関係を含めて吟味したいところだが、それは時間がかかる。『アスベストス』のその他の作品はもちろん、『石の肺』と併せて読むべきところもあれば、過去の新聞記事などと一緒に読みたいところもあり、興味が尽きない作品である。