佐伯一麦『からっぽを充たす』(日本経済新聞出版社、2009年)の「かわたれどきの色」には、字数としてはわずかだが、「小説」に対する自身の姿勢を述べている箇所がある。
小説は、「大きな説」ではなく、現実を生きた姿として捉え、ささやかな夢や温かい人間関係といった生活感情を伝える「小さな説」であることを肝に銘ずるときに、私はスタインベックの短篇集を繙く。
「かわたれどきの色」は、スタインベックの短篇「朝めし」について書かれた文章で、佐伯はヘミングウェイやフォークナーよりもスタインベックの方が親しみがあると述べている。「朝めし」を読んだのは中学生の頃だという。
「大きな説」というのは「大説」のことで、天下国家を論じること、つまり四書五経である。対して「小説」は、日常生活の些事や噂話や虚構を書くことである。