杉本純のブログ

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「十九歳の地図」と「朝の一日」

「朝の一日」の方がいい

昨日、中上健次の短篇「十九歳の地図」のことを書きました。

佐伯一麦は、新聞配達少年を主人公にした「朝の一日」という作品を書いた後、同じ新聞配達を主人公にした「十九歳の地図」の存在を知り、失望したとのことです。「木を接ぐ」でデビュー後、「新潮」の編集者に、30枚程度の小説を掲載する予定だったができなくなったのでそれくらいの作品をストックしているかと問われ、「朝の一日」があるがすでに「十九歳の地図」が存在している、といったことを伝えました。すると編集長の坂本忠雄が来て、「朝の一日」はこれで小説として独立しており、中上の作品とは違う世界になっていると言われ、「新潮」に掲載される運びとなったのです。そのことは、佐伯の『Nさんの机で』(田畑書店、2022年)に書いてあります。

『Nさんの机で』のその箇所を読むと、佐伯は「朝の一日」と同じ新聞配達が主人公の「十九歳の地図」に劣等感を抱いていたように感じられます。それは中上への劣等感に等しかったようにも感じられる。

しかし私が思うに、「朝の一日」は「十九歳の地図」よりはるかに優れています。「十九歳の地図」の主人公のように自意識が肥大しているわけではなく、思いを寄せる女が妊娠し、しかもその子の父親が自分であると噂されている主人公の、自分の運命に懸命に向き合おうとする姿が描かれている。「十九歳の地図」よりずっと好感が持てるのです。