杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

消費生活か生産生活か

ロバート・キヨサキ『金持ち父さん貧乏父さん』(白根美保子訳、筑摩書房、2013年)を読んで、漠然とながら思ったことがある。それは、自分の収入を消費に回すか生産に回すかで、やがて人生が大きく変わってくるだろうということだ。

この本は、金持ちは働いて得た金で負債(家や自動車など)を買わず資産(株や債券など)を買う、と言っている。そして、金持ちでない人は負債を資産と思い込んでいる、と。

私はその辺りを読んで、学生時代に自分が漠然と考えていたことを思い出した。当時の私は、藝術家として生きていこうと思っていたのだが、その思いには自分なりの仕事観と人生観がいくらか反映されていたはずだ。私はかねて、働いて金をもらう、その金で何か買えば金は消えてしまう、そんなのは損だ、というか意味がないのではないか、と漠然とながら思っていた。何か買って金が消えるということは、つまり消費である。そうではなく、その金で次の金を生む何かを買う方が正しいのではないか、と。金を生む何かを買うということは、つまり金を生産に回すということだ。ようするに、金を消費よりも生産に回す方が賢く正しいのではないかと、ずっと思っていたのだ。

当時、私の知る人の中に、車に熱中している人がいた。車をたまに買い換えていたし、高級車や外車にも手を伸ばし、それを所有することや運転すること自体に喜びを見出していたようだった。私はその人を見て、この人がやっていることは「消費」だなと思った。それはそれで楽しいだろうが、自分は違うと思ったものだ。自分は「消費」よりも「生産」をして、もっと豊かに大きくなっていく人生にしたいと考えた。時間はかかるだろうけれども、と。

では私は働いて得た金で具体的に何を生産しようとしたのかということだが、当時は映画や脚本やその他の書き物、つまり「著作物」より他には頭になかったように思う。だから、著作物を生み出すことにつなげるための映画観賞や学習のための書籍の購入に金をたくさん使ったものだ。一方で、食べ物や飲み物などは安いもので構わないと思い、実際にそうしていた。

ロバート・キヨサキが考える「資産」の中には「書籍などの著作権」も含まれていて、我が意を得たりだった。まだ、著作物が金を生み出すには至っていないのだが…