杉本純のブログ

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情報生産者

図書館でたまたま見つけて手に取った、上野千鶴子『情報生産者になる』(ちくま新書、2018年)。その冒頭「はじめに 学問したいあなたへ」を読み、次の箇所に共感を覚えました。

情報の消費者には「通」から「野暮」までの幅があって、情報通で情報のクォリティにうるさい人を、情報ディレッタントと呼びます。もちろん質の高い消費者がいるからこそ、情報のクォリティも上がるのですが、情報も料理も、消費者より生産者のほうがえらい! とわたしは断言します。料理だって、グルメの消費者より、料理をつくるひとのほうが、何倍もえらいんです。なぜかって、生産者はいつでも消費者にまわることができますが、消費者はどれだけ「通」でも生産者にまわることができないからです。

べつに生産と消費の両方の立場になれるから、その人が「偉い」ということにはならないでしょうが、これは上野の思想表明ともいうべき文章で、私は共感しました。

ここにある「情報ディレッタント」には、ときどき出くわします。やたら博識で、いろんなことに詳しい一方で、それをひけらかしたり、こちらにマウントをかけてきたりする人です。その人の勉強量と知識の広さには感服する面もありますが、かといって、自ら著作することはありません。それでいて、こちらが書いたものに対してはやたらうるさく注文をつけてくる。そういう相手はたいてい、私より立場が上の人なので、特に仕事の取引相手などの場合には黙って従いますが、心の中では「書けねぇくせにエラそうに」と思っています。

それは、ひょっとしたら上野の言う「情報ディレッタント」とは違うかもしれませんが、消費者よりも生産者のほうが偉い、と私も思います。情報を生産する人は、仕事のオーナーになれます。情報を消費するだけの人は、オーナーにはなれません。別のオーナーが生み出した情報を消費し、再現することくらいしかできないだろう、と思っています。