杉本純のブログ

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仕事と躰のリズム

Twitterで情報を得て、『池島信平対談集 文学よもやま話 上』(恒文社、1995年)の司馬遼太郎との対談を読んだ。司馬が、創作について述べている箇所があったのだ。

対談は1970年10月31日に行われたものなので、三島由紀夫が自決する一か月くらい前になる。

タイトルは「日本人とは何かを日露戦争で」だが、歴史や戦争のことを語りつつ最後の方は司馬の生活や趣味の方の話に移っていき、そこで創作の仕方についても触れられる。

昔からインスピレーションが湧くまで待つってのは、普通は嘘だろうと思うんです。インスピレーションというのは、一つの習慣でしょう。しょっちゅうものを書いている状態の中から、自然に出てくるんじゃないか、と……。十日も書かなかったら、さっきおっしゃったリズムというやつが、身体の中から消えますね。消えるとそのあと四苦八苦です。

と司馬は言う。やはり、書いたり書かなかったりはいけない。毎日書かなくては。司馬は上記の発言の後、「タクシーの運転手だって、いいますものね。『三日も休んだら、最初の一日は脂汗が出るほどぎこちない』……。」とも言っている。仕事をする上で、躰の内部で動くリズムがいかに大切かが窺える。

人間、生きるためには仕事をしなくてはならない。毎日している仕事が自分の好きな天職なら、そのリズムを失わずにやっていけば良いと思う。しかしワナビのように、生活費を得る仕事以外に目指すものがある場合、その目指す方でも日々リズムを刻んで作品なり成果物なりを生み出していかなくてはならない。

それが大変である。私も、時にへとへとにもなるが、書き物のリズムを失わないようにしたい。

ところで、この対談には面白い箇所がある。リズムの話の後、唐突に司馬の趣味である古書集めの話になるのだが、これが本当なら面白いがひどい話だと思う。

古本だけが道楽だったんですが、高くなりましたでしょうね。古本が高くなったのは、新設大学のせいだそうですね。大学は、大学設置基準法というやつで、図書の数は何万冊とかってきめられてますでしょう。すると、古本屋さんが集めて一括して納めるわけです。大学の図書館に納まりますと、もう流動しなくなりますね。そうなると、値段があがるんだそうです。古本屋さん自身も、商品が少なくなって困ってますよ。