杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

読書と蔵書

先日、部屋の模様替えをした。

高さ180㎝近い書棚を三つ、部屋の中で移動させ、机の位置も変えた。書棚はいずれも本がぎっしり詰まっていたので、それらをいったん全て出してから動かした。

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畳の上に並べられ積み上げられた本を眺めて、ふと思った。恐らく、この中でこれから先ずっと、死ぬまで開くことなく置いておくだけの本は少なくないだろう、と。そして、そういう本は一段落したら売るなり譲るなり捨てるなりして処分しよう、と。

物書きとして、いつでも手元にあって欲しい本は当然ある。フィクションだろうとノンフィクションだろうと、書き物をする上で使う、いわば資料である。それは決して売りたくないし捨てたくもない。

書き物に使う資料は、年表や地図など基本的なものから、自分が関心を持つ特定の事物を扱ったノンフィクション・フィクションの作品まで様々である。これは、もう自分は二度とその事物について書き物をすることはない、その周辺についても関心がなくなった、という状態になれば不要になるだろうけれど、そういうことはあまりないのではないか。

一方、いっときの好奇心だけで買った本は蔵書しておく必要はない。そういう本は、小説やエッセイや評論といった分野に多いように思う。あるいは、その時期に話題になっていて、図書館で順番待ちして借りるのも面倒くさいから買った本。それらはたいてい一読すれば終わりで、二度と読むことはないので、処分してしまって構わない。

読書と蔵書は違う。滅多に読まない本でもあるとき急に必要になる本(資料)は、蔵書しておく必要がある。読みたくて買い、読んで面白い本でも、長きにわたって必要でないなら蔵書しておく必要はない。