杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

津島佑子「黙市」

朝日新聞に昨年まで連載された堀越正光の「東京物語散歩」の108回(2009年3月17日)は津島佑子「黙市(だんまりいち)」である(らしい)。川端賞を受賞したその短篇に出てくるのが文京区の六義園と知り、面白そうだと思って読んだ。

話は、六義園に棲む動物と、それを巡る主人公の観念を軸にして展開している。主人公「私」は小さな頃から六義園の近くに住み、タイムカプセルを埋めに行ったもののそのままになっていたり、年上の男たちと遊びに行ったり、母親が飼い犬を捨てに行ったことがあったりと、様々な思い出がある。やがて「私」は母親の元を離れたが、二人の子供を連れて近い場所に戻ってくる。小説の始まりは子供たちと六義園を訪れ、子供が園の中にたくさんの猫を見つけるところである。

六義園の猫がどうやって生きているのかを「私」は想像する。周囲のマンションに住む人間たちに餌を貰っているのではないか。では人間の方は猫から何を貰うのか、と考え、父親を与えられる、そんな「取り引き」はどうかと思う。「私」は母親と同様、子供に父親というものを味わわせることができないでいた(離婚していた)。しかし、ある時、子どもたちの父親(元夫)と会い、子供と一緒に交通博物館に行く。会話はほとんどない。そのことに焦りつつも、相手に立ち入ってはならないという思いもある。そして、「沈黙」を守っていれば、互いに領分を犯すことはないだろうと考える。そして、山男と村の男という、相容れぬ者同士が言葉を交わさず物々交換する「黙市」の話に重ね合わせ、自分の子も森の猫と取り引きをしているのかも知れないと思う…。

なんとも観念的で変な小説だが、東京のど真ん中にある六義園の森に、沈黙の世界というか、人間の営みの裏面が垣間見られ、しかもそれが自分と家族の人生と生活の奥深くに食い込んでいる…そんな不気味な感覚を与える短篇になっている。

六義園は私の職場から近いが、文京区の観光スポットの一つであり、この小説のような目線で眺めたことはなかった。