杉本純のブログ

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「スポイル」の思い出

「スポイル(spoil)」は、甘やかして駄目にしてしまうことで、蔑ろにするのとは意味が違う。「すべからく」「敷居が高い」などと同様、そこそこ語彙力がある人が使い、なおかつ誤用しやすい言葉ではないかと思う。私は最近、誤用に接した。

私は「スポイル」と聞くと、ゲーテの師であるヘルダーが、ゲーテの史劇『鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』の第一稿を読み、ゲーテに向けた手紙の中で述べた言葉が思い出される。

シェイクスピアは君をすっかりスポイルしてしまった。

ヘルダーはゲーテシェイクスピア崇拝を喚起させたが、ゲーテによるその成果とも言える『ゲッツ』を読み、失望したということだろう。せっかくシェイクスピアの素晴らしさを伝えたのに、その後に書き上がった『ゲッツ』にはシェイクスピアの素晴らしさの本質が現れていない、生齧りの状態だ、といったことを「(シェイクスピアゲーテを)スポイルしてしまった」と表現したのではないか。

こういうのは、ちょっとだけ分かる気がする。谷崎潤一郎とか大江健三郎とかの文体に憧れ、語り口だけ真似をしてしまう、といったことと似ているのではないか。真似した側はうわべの特異さに心を奪われてしまって大切なところを受け取っておらず、授ける側は甘やかした結果、駄目な子に育ててしまったということ。

上記のヘルダーの文章は、ハイネマンの『ゲーテ傳(一)』(大野俊一訳、岩波文庫、1955年)に紹介されている。かつてゲーテと『ゲッツ』について勉強した中で、鷗外の『ギョッツ考』とこの本がかなり詳しかったので、記憶に残っている。