杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

一行でも、一文でも。

かつて知人が、やや特殊な文学史をまとめようと筆を起こし、一日に一行でも、一文でも書く、と意気込んでいた。今はその知人とのつながりはないが、その文学史は一冊にまとめられたようで、アマゾンでも売っている。すばらしい。こんど買おう。

そのかつての知人はサラリーマンをやりながら文学史をまとめた凄い人で、社業の傍ら書き物をしたこと、一日に一行、一文でも書こうとしていたことに敬服する。

私は会社員の傍らいくつか小説を書いてきて、今も書いているが、会社員をしながら書くのは、正直に言って楽ではない。毎週末、必ずまとまった時間が取れればぐんぐん進むだろうが、そう簡単にいくものでもない。身辺では何かと問題、雑務が発生して自分の時間は容易に作れない。ペースが乱れると、それまで頭の中で像を結んでいた小説の世界がほころび、それを取り戻すのにけっこうな時間を要する。一日に一行、一文書いてもさらに翌日それを消したり直したりし、まるで密林の中を行きつ戻りつしているような状態が延々と続く。それがずっと続くといい加減、精神が萎えてくる。

しかし、多くの作家はそうして小説を書き、世に出たのだろうと思うので、一日に一行でも、一文でも書いて前に進むしかないのである。書くことでしか前進できないのだ。