杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

新聞記事から小説へ

佐伯一麦の『月を見あげて 第二集』(河北新報出版センター、2014年)の「新聞紙の効用」には、佐伯の短篇「二十六夜待ち」が、薬局で院外処方の薬を受け取った時、その包み紙にされていた河北新報の記事にヒントを得た、と書いてある。面白い。「二十六夜待ち」は未読だが、その新聞記事と併せて読みたいと思った。

中上健次やジッドも新聞記事から小説を書いたし、他にも多くの作家が同じことをしていると思う。私も、このブログの「創作の部屋」で連載した「アルミニウム」や、今連載中の「名前のない手記」を新聞記事から想像して書いた。いずれも元は同人誌に発表したものだが、同人から、マッチ箱ほどの記事から一篇書くなんてすごいとか、そんなようなことを言われて嬉しくなったのを覚えている。

逆に言うと、マッチ箱ほどの記事だからこそ、小説に膨らませる面白さがあるのではないか。新聞記事は短ければ短いほど、出来事の経緯が端的に記されている。それは小説のあらすじをごく短くしたものに近いと言えるだろう。そこから小説にしていくには、骨組みとなる経緯に加え、描写するべき周辺事情や背景や場所の情景を作っていく必要があるが、それは作家自身の経験を元にした想像で埋められないことはない。

言うなれば、新聞記事は小説の主題と題材を提供してくれるのだ。人づてに聞く話なども、同じ役割を果たしてくれる。小説の材料は、日常生活のそこかしこに散らばっている。