杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

毎日書くこと3

何か気になっていることがあると、それに関連する物事が起きた時にハッとする。いわゆる「ピンとくる」というやつだ。

私にとっては「毎日書くこと」が近ごろ特によく考えていることであり、今日は朝から「ピンとくる」ことが二つあった。

一つは、子供の夏休みの宿題に関する、先生からの親への連絡に書いてあった言葉だ。そこには、宿題をさっさと全部やっちゃおうと子供が言った、つまり義務は早めに終わらせて遊ぶ時間をたくさん確保しようという子供がいたが、それは目的が違う、毎日コツコツやることが大切だ、といったことが書いてあった。

たしかにそうだ。小説を毎日書くにしても、私は、例えば1日3枚なら1週間で21枚と計算して、調子の良い日に12枚書けたとしたら、少なくとも3日はサボれる、みたいに考えていた。それは違う。やはり多かろうと少なかろうと、毎日書くことが大切だと思う。「毎日書くこと2」にも書いたが、サボれば勘が鈍り、再開したとしてもそれを取り戻すのに時間がかかってしまうし、これだけ稼いだからこれだけ遊んでいい、という考えそのものが小説を書く姿勢として間違っている気がする。

もう一つは、古書店で買った三島由紀夫『小説読本』(中央公論新社、2010年)の冒頭の随筆「作家を志す人々の為に」である。これはもう、書いてあること全体が「気になっていること」にダイレクトにつながっているから、「ピンとくる」のは当たり前だったと言えるかも知れない。この短い随筆は、いわゆるワナビに対して「作家の生活とはこういうものだ」と説諭するもので、古今東西の作家のエピソードが紹介されていて面白い。その最後にこうある。

 ある画家から聞いた話だがフランスに行って絵描きが何を学んでくるかというと、毎朝必ずキャンバスの前にきちんと坐って仕事を始める習慣だそうである。この単なる習慣が日本に帰って来てから非常な進歩のもとになるという事は日本人のなまけもの気質と考え合わせて面白い事であると思う。

「日本人のなまけもの気質」は置くとして、つまりは作家志望者も毎日書く習慣を身につけなくてはならないということだろう。このくだりの前には、その習慣を維持するのがいかに大変かが書かれているが、そういうのを乗り越えるほどの欲求と執着を持っていることが作家になる条件のように思える。