「ぼぼくすでにきょうす」と読みます。
墓の上に植えられた木がすでに一抱えもあるほどに生長している、という意味です。つまり、死んで長年経っている、ということ。しかし元の意味は、本来ならそうなっているはずだが生きている死にぞこない、長生きして邪魔な奴、と罵る言葉です。
言葉の意味は置いておいて、その表現の仕方が面白い言葉だなぁと、印象に残っている言葉です。
この言葉に出会ったのは森鷗外『渋江抽斎』(岩波文庫、1999年改版)で、注が付してあったので思わず後ページを読んで意味を調べました。ただし『渋江抽斎』には「墓木拱していた」と書いてあり、「已に」はありませんでしたが同じ意味です。
同じように、小説に登場して思わず注を見て意味を調べた言葉に「端倪すべからざる」があります。私はこの語について過去にこのブログで書いたことがあり、その時は『行人』に出ていたと書きましたが、たぶん間違いで正しくは『それから』ですね。
『行人』に出ていて面白かったのは「ジョコンダにも似た怪しい微笑」で、これもたしか注が付してあり、モナ・リザのことだと解説してあったはずです。「端倪すべからざる」も含め、読んだのは全て岩波の『漱石全集』でした。
鷗外、漱石の他にもいるでしょうが、教養ある人の小説を読むとたまにこういう面白い由来を持つ成句に出会います。語とその由来を知ると、自分の教養も上がった気になるのが不思議ですが、楽しいものです。