杉本純のブログ

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繰り返される「一度きりの人生」

実存と構造

昨日は「パンスペルミア説」にかこつけて「情報はヴィークルに乗って旅を続けている」と書きましたが、人の一生というのは一度しかないに違いないものの、要するに情報の永い旅の過程にあってその後もずっと旅が続くわけです。情報はその肉体が終わっても別の肉体、あるいは前の肉体が増殖した肉体(つまりはその子孫)に乗って、旅を続けるわけですね。あと数十年経てば宇宙飛行が一般に普及するはずなので、将来は地球に飛来した情報が肉体に乗ったまま地球を出発して、ふたたび宇宙を旅することにもなりそうです。

そう考えると、人の一生などもはや大きな物語の一瞬の出来事でしかない、という諦観に到達してしまいます。それは実際にその通りで、否定のしようのないものですから、人はもはや一瞬を真剣に生きる必要などないのかもしれません。

文学の勉強をしていた時期、実存主義構造主義というのを読んだことがありました。実存主義は、他の誰でもない「私」についてどこまでも深く言及していくもので、構造主義は、そういう唯一の「私」が実は昔からずっと繰り返されてきた人生の一つに過ぎない、といった考え方だったと記憶しています。

人生は一度きり、けれどもそれは永い旅の中で繰り返されている。というのはどこか実存と構造の考え方に近い気がします。

まあ人が一生をどう生きようと結局は当人の勝手です。私自身のことをいえば、ことさら高い意識を持って生きなくてもいいけれど、2022年6月8日という日が永遠の中に一度しかなく、それは終われば決して戻ってこないものもまた事実であり、その一度を真剣に楽しみたいもんです。