杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

調べ物はアクション

地元のある町の自治会の周年記念誌を図書館で見つけたので読んでみたら、地元にかつて芥川賞候補になった作家が住んでいたことが分かって驚いた。

と同時に、その作家が地元の文藝誌に参加していたことを知って、地元に同人誌めいた集まりがあったんだという驚きとの二重の驚きになった。作家のことはともかく、文藝誌の存在は一般にほとんど知られていないことだと思うので、調べがいがあると思っている。

ところで、「調べる」という行為は一種のアクションだろうと考えている。近頃はコロナ自粛もあって必要がない限り電車にすら乗らない。だからというわけではないが、自然と調べ物・書き物の方に関心が向く(とはいえ仕事が忙しいとそれすらままならなくて参ってくるのだが)。で、この調べ物という行為は明確な目的意識を持つ。そして調べる主体は、書物であれ人物であれ何らかの事件・事故の現場であれ、そこへ一直線に向かっていくことになるので、ある意味で洗練されたアクションと言えるのではないか。

その過程は、ストーリーになる。大江健三郎の小説には書物の世界を追究する過程が小説の題材になっているものがあるし、『或る「小倉日記」伝』も一種のテキスト追究小説と言えるだろう。