杉本純のブログ

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古井由吉と「木を接ぐ」

「新潮」5月号は古井由吉の遺稿と作家による追悼文が載っている。このほど、図書館の貸し出しが再開したのでようやく借りて読むことができた。

追悼文を寄せたのは蓮見重彦島田雅彦佐伯一麦平野啓一郎又吉直樹佐伯一麦の寄稿は「枯木の花の林」というタイトルで、古井との数々の思い出と古井への思いを語っていて、やや感傷的な印象を受ける。

中で興味深かったのは、佐伯が古井に敬慕の念を抱くきっかけになったであろう、恐らく佐伯と古井の最初の出会いの時のエピソードである。

「ああいう小説は、好きなんです」
 一九八四年の秋、第三回「海燕」新人文学賞の授賞式があった夜、編集長の寺田博氏に先導されながら新宿の酒場をハシゴしている途中で、古井さんがぽつりとつぶやいた。明治通りを渡りながらだったと記憶している。受賞した拙作について、選考委員だった古井さんの選評にあった〈枯木をへし折って荒縄で束ねるような、ところどころで枝先が変な方向へ突き出しているが〉という一文を否定的に解した私に対してだった。以来、酒場で笑みを湛えながらぽつりと発せられる「書き出しだけは、ちょっと考えたほうがいいらしいよ」「雑文こそ真剣に書いた方がいい」といった具体的なアドバイスを聞き漏らすまいという姿勢になった。

受賞時、佐伯は古井の「木を接ぐ」への評が否定的であると受け取ったようだ。「木を接ぐ」は自分の子供が生まれるまでを書いた私小説だが、古井の選評の該当箇所は次のようになっている。

かつて自分を宿したことを喜ばなかった母胎が、いまでは自分が喜ばない種を宿した母胎となって、目の前に反復される。その二つの母胎に圧迫されて、自分の存在が凝縮しながら失われる、失われながら凝縮する、繋がれながら居所を失う、居所を失いながら繋がれる、という矛盾した動揺を懸命に言葉で束(つか)ねようとした、枯木をへし折って荒縄で束(たば)ねるような、ところどころで枝先が変な方向へ突き出しているが、力作と受け止めた。

つまりは、扱いにくい主題を懸命に言葉にしようとした粗削りな作品を「力作」だと受け止めたのだろう。佐伯は古井の言葉をいっとき誤解していたことになる…か。