杉本純のブログ

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瀬戸内寂聴と和田芳恵

瀬戸内寂聴山田詠美の対談『小説家の内緒話』(中公文庫、2005年)を読んだ。

面白かった。全四章の対談でどの章も面白いのだが、最後の第四章「場所の記憶」で、瀬戸内が和田芳恵との対談の思い出を話しているところがあり、とりわけ印象に残った。男と女や、孤独について語っているところ。

瀬戸内 作家の和田芳恵さんと対談した時に、「瀬戸内さんは、一つだけ男に関して間違っていることがある」って言われたの。私の小説の女はいつも物わかりよく、「どうぞ、どうぞ、お帰りなさい」って男を帰すけれど、男は引き止められたいんだ、と。そこが間違っているって。
山田 私、一応、一度は引き止めるんですよ。そうすると、向こうが一度は断るじゃないですか。それで、「そっか、残念ね」って言って追い出すんですよ。
瀬戸内 無理に引き止めないでしょ。そこでね、本当は引き止めるべきなんですって。そのほうが、男は嬉しいんだって。「いやあ、物わかりがいい」っていって、感謝しているのかと思ったら、そうじゃない。

私はこっちの方面の経験は浅いが…ほんの少しだけ、身に覚えがある。きっと多くの男は、和田の言う通り引き止めてもらいたいだろう。それでいて強がって、引き止めてもらいたくない顔をして帰っていく。

男というのはだいたい女々しいのだ。中には図太くて強いのもいるが、多くの男は弱くてうじうじしていて「男らしく」ない。だから虚勢を張って、自分を強く見せようとする。それにしても、瀬戸内の男の見方について、『暗い流れ』の作者である和田が間違っていると指摘するのに妙に納得してしまうのはなぜだろう。。

私の考えでは、男のこういう女々しさにも種類とか程度というものがあって、DV男とかモラハラ男というのは、女々しさの悪い部分が極端に肥大した奴だと思っている。また太宰治などは、自分と心中してくれるかどうかで女を試すようなところがあったらしく、DVやモラも良くないけれど太宰のようなのも吐き気がする。

瀬戸内も山田も、一緒に住んでいる男が毎晩のように酒を飲んで帰ってきた経験があるらしい。

それについて瀬戸内は、「夜、小説を書いている時は緊張しているから、空気が張り詰めてガラスみたいで、お酒の力でも借りて打ち破らないと、中へ入れないのね」と言っている。これは共感するところが大きく、とはいえ小説を書いていてガラスのようになっているのは私自身だ。小説を書く人と一緒に住む人は、自宅なのに神経を使う生活を強いられて気の毒である。

瀬戸内は続いて「鈍感な人だったら平気なんでしょうけれど、私や詠美さんが好きになる男は敏感だから、わかってしまうのね」と言っている。繊細で恋人思いのいい男じゃないか、と思った。