杉本純のブログ

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物書きと孤独

瀬戸内寂聴山田詠美の対談『小説家の内緒話』(中公文庫、2005年)で、外国人の夫を持つ山田詠美がこんなことを言っている。作家である自分に対し、家の中で家族が何かと話し掛けてくる、という話。

山田 孤独がいいっていう感じは、分からないみたい。でも、それは日本人でも一緒なんですけどね。作家が絶対に一人にならなくちゃいけない時間があるっていうこと、分からない人が多いから。うちの両親でも、一人で部屋にいると、必ず入ってきて喋るし。

たしか立花隆は、書いている間は部屋の外を完全にシャットアウトしたい、と言っていた。物書きは文章を書いている間、頭の中で言葉が文章になっているので、誰であれ話し掛けられるのを苦痛に感じる。他人からすると、物書き本人に話し掛けるのは親しい相手だから当然のことで、悪いとも何とも思っていない。

物書きとしては、孤独で作業をしているのは楽ではなく、孤独を紛らわしたい時間もあるし、話し掛けられることそのものは嫌ではないと思う。けれども、今まさに文章が頭の中でできて、指を伝って文字として書かれている状態で話し掛けられてしまうと、その流れをいったん止めなくてはならなくなるので、苦痛である。

これは物書きが自宅で仕事をするから起きる現象だと思う。緊張している最中にむりやり弛緩させられるのが苦痛なのだ。例えば会社の営業マンが、得意先で大きな商談を取ろうとプレゼンテーションしている時に、いきなり家族や子供が出てきて話し掛けられたらこれはたまらん。物書きが書いている最中に話し掛けられるのは、つまりそういうことなのだ。