杉本純のブログ

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「純文学にこの人あり」

「新刊ニュース」編集部『本屋でぼくの本を見た 作家デビュー物語』(1996年)の島田雅彦「ハッタリと『悲愴』」には、島田がデビュー作『優しいサヨクのための嬉遊曲』を「海燕」に持ち込んだ経緯が書かれている。

島田が『優しいサヨクのための嬉遊曲』を「海燕」に持ち込んだのは1983年4月1日。文学の蘊蓄めいたものを語って「ハッタリをかました」とあるのだが、その時に話した「編集長」は、島田の「アドバイザーの知り合いの友人」だったようだ。

その五日後、「来月号に載せる」という返事が来て島田は喜び小躍りする。『優しいサヨクの嬉遊曲』は「海燕」1983年6月号に掲載される(5月7日に発売された、とある)。

それにしても、何処の馬の骨とも知らない青二才の原稿の掲載を即断した男は偉い。あとで彼は純文学にこの人ありという名編集長だと知った。

とある。編集長はもちろん寺田博。しかし「純文学にこの人あり」という人だとは知らなかった。