このところ脳疲れと目疲れがひどく、時間があれば休みの日はゆっくり昼寝でもしたいと思っているのだが、どうもそうはいかない。公私ともにめったやたらに働いているが、ハードワークには慣れてしまっている。
疲れた脳と躰を癒やすのに、このごろはベートーヴェン「悲愴」をよく聴いている。演奏は辻井伸行である。
「悲愴」というと思い出されるのは、島田雅彦が『優しいサヨクのための嬉遊曲』を「海燕」1983年6月号に発表してデビューした頃、大学のオーケストラでビオラを担当し、チャイコフスキーの『悲愴』の練習をしていた、というエピソードである。その辺の消息を島田は『本屋でぼくの本を見た 作家デビュー物語』(「新刊ニュース」編集部)収録のエッセイ「ハッタリと『悲愴』」に記している。
どうして「ハッタリと『悲愴』」なのかというと、『サヨク』を当時の「海燕」に持ち込んだ時、編集長(寺田博)にデカイ態度をとって文学について語った、要するにハッタリをかましたということである。
作家として名を上げるにはハッタリの一つも必要なのかも知れない。けれども今の私はハッタリよりも疲労である。疲労と「悲愴」の日々である。。