杉本純のブログ

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佐伯一麦と「春の夢」

佐伯一麦『渡良瀬』(新潮文庫、2017年)を読んでいるのだがかなり長い。佐伯の読者でない人には退屈だが、実にユニークな書き方をしているとも言える小説で、そのことはいずれ当ブログできちんと書こうと思う。

ところで、新潮文庫の393ページの2行目に、こんなくだりがある。工場で作業をしているところでの、こんなくだり。

今は一人きりなので、思わず軽い口笛が洩れた。シューベルトの「春の夢」。電気工だったとき、高架水槽や電気室などで一人で作業をしながらも、拓はよく口笛を吹いたりクラシックのメロディを口ずさんだものだった。危険なところであればあるほどそうした。そうしていると、不思議と何も考えずに手先のことだけに集中できた。

シューベルトの「春の夢」とあり、さらに高架水槽とあったのを見て、私は佐伯の短篇「プレーリー・ドッグの街」を思い出した。

これは「新潮」1989年6月号に発表され、その後『ショート・サーキット』(福武書店、1990年)に収められた。風俗嬢との交流を描いている点で、佐伯の中篇「一輪」に似ている作品だ。

その序盤、風俗嬢「あい」と会う場面は、建物の屋上の高架水槽がある場所だ。主人公の「おれ」は、高い所で作業していて気がおかしくならないようにするために、口笛を吹いたりメロディーを口ずさむ。

そうしていると、不思議と何も考えずに手先のことだけに集中できた。曲はクラシックに限った。長い曲の方が、時間がつぶせるし、それに、柄じゃないとわかっていても、やっぱりクラシックが一番好きだったからだ。

今回こうして二つ引用してみて、両作には「そうしていると、不思議と何も考えずに手先のことだけに集中できた。」というセンテンスが一文字も違わず同じであることに気づいた。

そして、作業を終えた後のくだり、

 塔屋の上から架けられている鉄のステップを、一と仕事終えた満足感から、おれはシューベルトの「春の夢」を今度は歌いながら降りて行った。

とある。

佐伯一麦は「春の夢」がよほど好きなのだろうと思った。