杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

裏カリスマか教祖か

香山リカの『ポケットは80年代がいっぱい』(バジリコ、2008年)をぱらぱら読んだのだが、松岡正剛工作舎と「遊」についての記述が妙に考えさせられた。

というのは、香山が本書冒頭で工作舎のことを「ミニコミ誌みたいな雑誌」、松岡のことを「裏カリスマか教祖か」などと書いているのだが、私自身が二十代の後半に勤めた会社も一種の「ミニコミ誌みたいな雑誌」を作り、経営者は「裏カリスマか教祖」のように振舞っていたからである。

その経営者は六十年代の生まれで、本書の八十年代の空気と無縁ではなかったはずなので、自身が経営する会社で「ミニコミ誌みたいな雑誌」を出していたことには、なんらかのつながりが見出されるようにも思う。

香山著では、ブックデザイナーの祖父江慎が、多摩美の学生だった当時、工作舎に出入りしていたとある。祖父江は大学では優等生だったが、松岡に「大学なんかに行ってどうするんだ!?」と言われ、その後、大学をやめてしまった。私はその経営者の下でアルバイトをしていた時、別のスーパーのバイトもやっていたのだが、その経営者に「そのバイト、辞められないか?」と聞かれて「辞められます」と即答した。祖父江のことはよく知らないが、ほぼ無条件に服従するかのごとく心酔していた点では共通するかも知れない。

本書を読んだ印象では、私がいた会社は、工作舎の雰囲気をかなり薄めて縮小したような、チンケなところだった。どうしてあの頃の自分はあんな変なところに入り、いま考えるとアホとしか言いようがない経営者に心酔していたのだろう…と忸怩たる思いと共に疑問を持つのだが、まぁ要するに、馬鹿だったのだ、と思うしかない。

しかし上にも述べたように、工作舎とかニューアカとかの時代から数十年後の二十一世紀に(詳しく書くのは避けるが)ああいう変な会社と雑誌があったことに、何らかの系譜みたいなものを感じなくもないのだ。こういうのを題材にして小説にしてみるのも面白いかも知れない。