杉本純のブログ

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本には書かなかったあとがき1『こぼれ落ちた人』

小説集『こぼれ落ちた人』は、5月16日の文学フリマに出品した。当初は巻末に「あとがき」を掲載する予定で、下の文章をしたためたが、なんとなく気が進まず、やめた。たぶん、駄作であることの言い訳を載せるようで、恥ずかしいと思ったんだろう。

こうしてブログに掲載するのもそれと同じことのような気がするが、収録作が二篇とも十年以上前の作品であることは、いちおう読者の皆さんに伝えておきたい。だから掲載する。

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あとがき

 本書に収録した二篇、「名前のない手記」と「似顔絵師」は、過去に所属していた同人誌に発表した作品です。また二篇とも、ブログ「杉本純の創作の部屋」において分割掲載の形で二〇一八年から二〇一九年にかけて発表しており、今回の書籍化が三度目の発表になります。なお、発表のたびに加筆修正をしています。
 「名前のない手記」を同人誌に発表したのは二〇一〇年です。本作の着想は、台東区日本堤簡易宿泊所喜久家旅館」の二階で起きた殺人事件を伝えた、二〇〇九年七月二十日の朝日新聞の記事から得ました。小さな記事から想像をふくらませ、小説に仕上げた小説家は過去に何人もいますが、私自身、本作を書き上げた時は小説家として開眼したように錯覚しました。
 私が所属していた文学同人では、同人誌を発刊するたびにメディアや図書館などに送っていましたが、その中の一つ「週刊読書人」の白川正芳の同人雑誌評に本作がとり上げられ、好意的な書評が載りました。それを読んだ私は有頂天になり、これで俺はもう作家になれる! と自信過剰になったのを覚えています。
 今回読み返してみて、本作は、語り手の世間的な勝敗に対する態度や考え方に、いささか負け惜しみめいたものがあると思ったため、修正を加えてその点を払拭するよう努めました。本作を書いた当時の私は、知人からの影響もあって、政治家や大企業の経営者といった権力者を特に根拠もなく否定し、飲み会などで馬鹿にして満足していました。それで、本作の語り手のような人物が出来上がったのでしょう。また語り手の人物造形は、「現代の方丈記」と言われる大山史朗『山谷崖っぷち日記』(ティビーエス・ブリタニカ、二〇〇〇年)も参考にしたはずですが、いずれにしろ、子供じみたひねくれた感じは否めませんでした。修正が成功したかどうかは、読者の反応も含めて判断したいです。
 「似顔絵師」は同人誌に二〇一〇年に発表しました。これは、かつて上野公園で会った似顔絵画家の印象などから小説にふくらませたように記憶しています。また、この作品を書く前に営業職として広告の仕事を得るため活動していたことがあり、そういう体験も少しは織り込まれています。これは「名前のない手記」以上に主人公のペシミズムが強烈で、この人はこの先どうなってしまうんだろうと思わせる寒々しさがあります。よくもまあこんな主人公を造形したものだとある意味で感心するほどですが、私は似顔絵画家の実態を知らず、行旅死亡人を見たことすらなく、その点でリアルさを欠いた作品と言えると思います。また、上司が使う関西弁は愛知出身の私が知る限りで書いたいい加減なもので、全体に作り込み不足の感が否めません。

 今回この二篇を書籍化したのは、稚拙とはいえ完成させた小説であるため、文学フリマへの参加を機に、少部数ではあるものの改めて世に問うてみようと考えたからです。また、二篇ともストーリー展開や描写は個人的に気に入っているところでもあり、読み物として楽しんでもらえるのではないかという期待もあります。
 読者からの感想が得られれば幸いです。

 二〇二一年五月
 杉本純