以前、企業の人材開発・組織開発を専門とする大学の先生が、インタビューで「昭和をアンインストールせよ」みたいなことを言っていた。
長い間かけて学習してきた、長時間労働を是とする考え方から脱却せよ、ということなのだが、先生が言うには、長時間労働を繰り返す人にはそういう働き方へのある種の依存性が見て取れるそうだ。
編集プロダクションのような労働集約型のビジネスモデルの会社だと、売上を上げようとすれば長時間労働にならざるを得ず、どうすれば長時間労働をせずに売上を出せるのか、ちょっと分からない。ただ、私は映画をやっていた時、「一週間くらい寝なくたって平気だ」とか「昼飯なんて食べるな」とか滅茶苦茶なことを言い、そうするのが映画をやる人間として真っ当であると考えているらしい人を見て、「休まず長時間働くのが良い」という考え方にはうんざりしている。
一方で、映画でも漫画でも、過去の優れた作品は、やはりすごいクリエイターが長時間労働をした結果生まれたものが少なくない。ただ、夢中になって寝食を忘れるのと、働けと言われて長時間働かされるのとでは、同じ行為をしていても内実は180度違うだろうと思う。
さて、最近でも私が見聞きする話の中に、「それって昭和ノスタルジーじゃないか?」と感じることがある。その人が口にした理屈を敷衍すると必然的に長時間労働になったり、どうでもいい無駄な仕事が増えたりするのだが、その人はどうもそういう社風や働き方を理想としているようなのだ。
恐らく、その人は過去にそういう「昭和な」働き方をして心地良かったのだろう。しかし間違いなく、そんな風に心地良い思いをしていた傍らで、苦しみ、あるいは惨めな思いをして、果ては涙を呑んで昭和な職場を去った人が数多いただろう。
もちろんノスタルジーに浸ってはいけないわけではないので、となると話は簡単で、知識集約型だろうが労働集約型だろうが同じこと、長時間労働が好きでいくらでも働けちゃう人は勝手にやればよく、しかし自分と同じ感性を持っていない人にそれを強いてはいけないのである。