杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

内向人間

榎本博明『内向性だからうまくいく』(日本実業出版社、2002年)は、内向的な性格の人が自分を受け入れ、長所をうまく活かして生きていくための助言をする本。章ごとでテーマが分けられ、助言を述べる節が一つにつき2ページでまとめられており、読みやすい。中に「外交型をうらやむことはない」という章があり、それ以外でも全体に外向型人間を批判的に書いているところがあるが、恐らく内向人間の私にはためになることがけっこうある。

「つい他人と対決的な姿勢をとってしまう」というタイトルの節があるが、これを目次で見て気になった。私自身、そういうつもりはないのに、会話の過程で気がついたら相手と対決する位置に立ってしまっていたことが、これまで数え切れないくらいあったのだ。

気がつくと敵対してしまう過程を、著者はこう書いている。

 適応に時間がかかる内向的人間には、周囲の状況が十分呑みこめない限りそれに合わせられないという特徴がある。納得しない限り積極的に同調できないという生き方は、けっして否定すべきものではない。軽率に周囲に合わせる風潮のある今日、むしろ気骨を感じさせ、頼もしいくらいだ。
 だが、忍耐力に欠ける者は、自分の適応の遅さにいらつき、ライバルの軽薄なまでの適応の速さにあせりを感じる。それがともすると周囲に対する否定という短絡的な心理を生むことになる。
 つまり、自分に対するいらだちを、無意識のうちに、適応を強いる周囲の環境に対する攻撃心へと転化してしまうのだ。そして、意に反して、周囲と対決的な姿勢をとっている自分を発見して驚くということになる。

周囲に腹が立つというより、周囲を十分に呑み込めない状況への苛立ちが、周囲への対決の姿勢になってしまうわけだ。

過去を振り返ると、そういう姿勢をとってしまったばかりに場の雰囲気が悪くなったり、その場にいた人からの信頼を失ったりと、ろくなことがなかった気がする。とはいえ、適応が早い人たちが悪いわけではない。一人勝手に失敗し、苦しむのが内向人間だと思う。

会社勤めとライフワーク

ミニチュア写真家の田中達也が今朝、テレビに出ていた。食べ物や身近な道具を使って作品にするのだが、その発想と世界観が独特で、NHKの朝ドラ「ひよっこ」のオープニング映像が面白いなと思った。

田中さんは数年前に会社を辞め、ミニチュア写真家として生活を立てているらしい。会社を辞めることにしたのは、家族との時間を大切にしたいという思いがあったそうだ。

一般に、会社勤めはたしかに一定の収入が確保され、生活に安定をもたらすが、多くの時間を会社に捧げなければならない。会社の仕事以外に生き甲斐やライフワークがある人なら、それに没頭する時間を奪われてしまう。

テレビには田中さんの会社員時代の仲間らしき人たちが出ていたが、その仲間たちとの仕事は、田中さんにとってやり甲斐のないものではなかったようだ。それでも辞める選択をしたわけで、それによって最もやりたい仕事に費やす時間と家族との時間を手に入れたのだと思う。ミニチュア写真家として人気はあり、収入面では問題なさそうだから、結果として良い選択になったのは間違いないと思う。

やり甲斐を取って会社と安定収入を捨てる人は多い。私の身近なところでも、家具職人とSEを兼業して会社を辞めた人がいる。その人は、会社というものに最終的にコミットできなかったと言っていた。逆に会社へのコミットができる人は、会社勤めが最良の選択になるのだと思う。

「ぬなは」

『六の宮の姫君』(創元推理文庫、1999年)は読むほどに主人公に共感してしまう小説だが、福島に旅行する中で出てくる「ぬなは」のエピソードも面白い。

「ぬなは」とは蓴菜じゅんさい)のことで、主人公は『拾遺和歌集』に載っていた一首を「ぬなは」の語があることから覚えていた。それより以前に『万葉の花暦』という本で「ぬなは」の歌を知り、それを気に入っていたのである。歌の中身も覚えているが、「ぬなは」という語にピンとくるあたり、主人公の語感というか音感の強さを感じさせる。

私は『雨月物語』に出てくる「ぬばたま」という語の語感が好きで、自分の小説でも使ったことがあった。谷崎潤一郎も「緡蛮(めんばん)たる黄鳥」という「大学」に出てくる語を、その特異な字面と音調から覚えていたと『文章読本』に書いている。意味よりも形や音で記憶に残るということはある。

佐伯一麦の小説と川

岡村直樹『百冊の時代小説で楽しむ 日本の川 読み歩き』(天夢人、2021年)という本を手に取った。著者は旅行作家だが、多摩川の近くで育って「川フリーク」となったとのことで、本書はタイトルの通り、時代小説を通して日本の川について考察するものである。

出てくる小説は主に時代小説なのだが、最後に「あとがき」として、現代小説には川がどう描かれているかということで、佐伯一麦の長篇『渡良瀬』と『山海記』に触れている。

この「あとがき」には佐伯も「川フリーク」であることが書かれているが、佐伯は実際、海の子、山の子といった言い方に倣って「川の子」と自認している。またその小説にも川が何度も登場するので、ある意味で、川を考察するにはうってつけの現代小説作家と言えるだろう。

『渡良瀬』を紹介しつつ渡良瀬川渡良瀬遊水地足尾銅山鉱毒事件などに言及し、『山海記』を通して阿武隈川をはじめとした各地の河川に言及している。川が登場する佐伯の小説はまだまだあるが、紙幅の都合で作品を絞ったのかもしれない。

本書のように「川」を切り口に小説を取り上げるのは面白い。佐伯の小説全体を川をキーワードに読んでみるのもいいかもしれない。

杉浦康平デザインのブックカバー

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八重洲ブックセンターで9月18日から創業祭2021が開催されている。1978年に当時日本最大規模の「マンモス書店」としてオープンし、今年で43周年になったそうだ。

先日、八重洲の本店の近くに仕事で足を運んだので、店に寄り、文庫本を一冊買った。

だが、文庫本そのものが目当てだったのではなく、実を言うと、それに付いてくるブックカバーが目当てだった。本店限定ながら、なんと杉浦康平デザインのブックカバーが付いてきたのである。

もちろん、新作ではない。八重洲ブックセンターの創業時に使用されていたものらしく、このたび約40年ぶりに復刻されたとのことである。

私はそんな情報は知らなかったが、店舗をうろうろしていたらそんな告知が目に入り、これは貴重だ!と思って本を買うことにした。文庫または新書にのみ付けられるとのことで、しかも無くなり次第終了ということだったし、創業祭そのものも今月いっぱいで終了してしまうので、この機会を逃したら次はいつになるか分からないと考えた。私は普段から「限定」とかに心を動かされない方だが、杉浦康平は好きだし、欲しい本は文庫・新書を問わず常にあるので、今回一冊買うことにし、レジに持って行った。

そしてめでたくカバーを入手。レオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンをもとにしてデザインしたものらしいが、言われなければダ・ヴィンチとは分からないだろう。とはいえ、落ち着いていて上品である。また杉浦康平がどんな意図でダ・ヴィンチの素描をデザインに用いたのかも知らない。とにかく杉浦康平のデザインは好きなので、ずっと取っておきたい気分になっている。

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「高島平文芸」2

昨年6月、このブログで板橋区高島平の同人誌「高島平文芸」のことを書いた。その時は本誌を未読で、まずは現物に当たりたいと書いたが、一年以上経ってようやく読むことができた。

日本近代文学館(本館)に所蔵されていた。もっとも全てではなく、あったのは以下の9冊のみである。

・6号(1975年4月)
・7号(1975年10月)
・8号(1976年3月)
・9号(1976年10月)
・11号(1977年12月)
・12号(1978年11月)
・13号(1979年9月)
・15号(1981年10月)
・18号(1985年1月)

このたび私は上記全てにざっと目を通した。B5サイズで本文は3段組、表紙は見たことがない種類の紙だったが、恐らく高価なものではない。どの号もたしか100ページ未満で、薄い冊子である。

発行は高島平団地自治会文化部文芸サークルで、責任者と思われるのは高島平に住んでいた(る?)K氏である。またこれは別の本で知ったことだが、K氏は「高島平文芸」を創刊した人でもある。

どうやら年に2回の発行を継続していたらしいが、10号を超えた辺りから年1回へと発行回数が減っている。会員の出入り、それに応じて増減する会費の納入など、さまざまな事情があったことは、K氏による編集後記を読むと察しがつく。また何人かの会員が、原稿を〆切に間に合わせることができず、一次〆切日など最初から守る気がないどころか、中には二次〆切日に合わせて一次〆切日から書き始める人もいたようだ。

私はかつて川崎市の文学同人に参加していたが、そういう課題はやはりあった。会員が入っては辞め、作品が出たり出なかったり、会員の中には「書きなさい」と言われても「書けない」と言う人がいたり…(私もその一人だったことがある)。

そのくせ誰もが作家気取りをすることは一丁前で、合評会では他人の作品を分かったように批評するが自分の作品が批評されると怒りだす。それで合評会はしばしば諍いになったが、所詮はどんぐりの背比べ、目糞鼻糞を笑うといった感じの低レベルの合評会だった。「高島平文芸」の合評会がそうだったかは分からない。

前にこのブログで触れたが、「同人雑誌評の記録」によると「高島平文芸」は過去に3回、「文學界」の同人雑誌評に取り上げられたことがある。各号の執筆者は下記の通りである。

・1975年8月号 林富士馬
・1976年7月号 林富士馬
・1978年4月号 久保田正文

1975年8月号で林は、「高島平文芸」の存在を紹介しつつ具体的作品は取り上げていない。そのうえで「文学には、お茶やお花などの稽古ごとと共通する遊芸の側面もたしかにあるが」と、あたかも「高島平文芸」がそうであるかのような書き方をしている。

これに対しK氏は、7号の編集後記で、林に作品評なしで一蹴されたことへの怒りを表明している。もっとも、作品評が載るほど質が高い作品が「高島平文芸」にはないことを自覚しているようでもあり、悔しさが滲み出ている。

K氏は15号の編集後記で次のように書いている。

世に「作家」「文章書き」として売り出すサークルではないのだから、何の変哲もない日常のなかで十年間の自分の足跡がしのばれればそれで充分だろうと考えている

林富士馬の文章に怒りを覚えたくらいだから、最初からそう考えていたわけではないように思うが。

ちなみに私が所属した文学同人では、ある人が「この同人誌から芥川賞作家を出したい」と言っていた。一方でその人は、高齢の同人同士でよく懇親会を開き、旅行もしていた。別の同人は、そういう状況を見て「この文学同人は合評会より飲み会の方が多い」と言っていた。

「文学」は個人的営為であり、同人は素人同士が金を出し合うのだから仕事ではなく、志もそれぞれ。集団で意識を合わせて継続するのはかなり難しい。

日本近代文学館に行った。

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先日、駒場東大前で降車し日本近代文学館に行ってきた。コロナ禍の影響で長く来館サービスを休止していたが、9月20日より再開したので、さっそく行ってきたのである。

恥ずかしながら、初めての訪問である。2階で漱石『こころ』に関する企画展を開催していて、「BUNDAN」というカフェには本好きそうな人が何人もいて面白そうだった。だが、そちらには足を運ばなかった。今回の私の訪問目的は調べ物だからである。

館内は静かで落ち着いていて、調べ物がよくはかどった。ある文芸誌のバックナンバーを閲覧しに行ったのだが、請求するとすぐに出てきたので良かった。館内の照明があまり明るくなかったのは、紙の資料のヤケを防ぐためではないかと思った。