杉本純のブログ

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「老成した心」

佐伯の性向の特徴

毎日新聞2021年4月10日(土)朝刊の書評欄「今週の本棚」の一コーナー「なつかしい一冊」は、佐伯一麦によるギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』(平井正穂訳、岩波文庫、1961年)の紹介が掲載されています。

平井正穂といえば、私はデフォー『ロビンソン・クルーソー』の訳者として覚えていましたが、他にも本作をはじめいろんな英文学を訳しています。

さて、佐伯は、コロナ禍の巣ごもりで読みたい気にさせる本といえば、まっさきにこの『ヘンリ・ライクロフトの私記』が思い浮かぶ、と書いています。

佐伯が本書を初めて読んだのは中学生の頃で、中西新太郎訳の新潮文庫を手に取ったとのこと。部活のバスケで腰を負傷して入院生活を送ることになったのをきっかけに読むことにした、とあります。しかし、中西訳は1951年刊とはいえ、本作は古典ないし「中古典」であり、そういうのを中学生にして手に取るところが、佐伯らしいですね。

 スポーツ少年で、とりたてて読書好きという訳ではなかったが、<一週間あまりの間、自分はペンに手を触れないでいた>という本文の冒頭が、そのときの心持ちに通じるところがあったのだろう。老成した心は少年にもひそんでいるものだ。

入院生活に入るに際し、古典作品を手に取る「老成した心」。少年期から青年期に見られた、佐伯の特徴の一つです。こういう思慮深さ、またはある種の天邪鬼な性向が、その後の過酷な労働者生活をもたらし、そして私小説へと昇華されてもいったと私は思っています。

佐伯のこのエッセイは現在、池澤夏樹編『わたしのなつかしい一冊』(毎日新聞出版、2021年)に収録されています。新聞、書籍ともに収録されている寄藤文平のイラストが、味わいがあっていいですね。