杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

成功に貧乏は必要か

一種の生存者バイアス

先日、創作をやる人は「マズローの欲求五段階説」の生理的欲求や安全欲求くらいは満足させていなくてはならない、という鈴木輝一郎先生『何がなんでも長編小説が書きたい!』(河出書房新社、2021年)の言説を引き、その考えはセロトニンなどの脳内物質のことと近いのではないか、と書きました。

そして、小説家に限らず多くのワナビが若い時代には三畳間などに住んで一発当てるのを狙うのはよくある、といった言説についても書きました。それで一つ、思い出したことがあります。

すでに売れて豊かな生活をしている、いわゆる「成功した」藝人やミュージシャンが、俺は若い頃はめちゃくちゃ貧乏だった、でも楽しかった、などと言うことがあります。中には「今でもあの楽しい時代に戻れる」などと言う人もいますが、私の考えでは、それは成功した今だから言える、美化された懐かしい昔話に過ぎません。

察するにそれは、貧乏なんて屁とも思わないほど俺は情熱を持っていたから成功した、ということで、見方を変えると、貧乏を楽しめないお前は情熱がない、という一種のマウントなのだと思います。

貧乏を屁とも思わない人が成功するとは限らず、いわんや「今でも戻れる」はまず間違いなく嘘だろうと思います。本当に戻れるなら、今からでも財産と名声を捨てて三畳間に住んでみやがれと。

成功した人の中には貧乏に苦しんだ経験をもつ人がいるのは事実ですが、貧乏を楽しめる奴が成功する、というのは一種の生存者バイアスでしょう。