杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

つまらん作品を最後まで読むか

読んでいる本がとにかくつまらない、ということがある。しかし、まだ半分も読み進んでおらず、このあと楽しく可能性が残されているので読む、ということもあるだろう。研究書とか歴史書とかビジネス本ではなく、小説である。

ある人は、本はたとえ序盤でも表情を見ればその後も読むべきかどうかが分かる、と言っていた。表情というのは作品の表情のことで、抽象的だが、何となく分かる。しかし、読んでいる本の表情が良くなくても、かといってあまりに酷いわけでもなければ判断は難しく、あまつさえ何らかの賞を受賞している場合などは、私はその賞に興味があれば読む。

つまらんと思っていたものが面白くなるのは、実例はたくさん出せないが、ある。バルザックの長篇は最初しばらく分厚い描写に付き合わされるので、けっこうキツいものがある。けれど後半はすごい。『レ・ミゼラブル』はところどころでストーリーが中断されて哲学的思弁のような文章が長々と続く。後半の下水道のところなど、すさまじいものがある。それでも最後は大きな感動がある。だから、特に小説は序盤で軽く判断するわけにいかないと思っている。

ちなみに、小説以外だとつまらん本はすぐに読むのを止めてしまう。また、小説を除く大半の本は最初から最後まで読んだりしない。興味のある分野の本は何冊も目を通すが、興味のある箇所のみを見て他はどんどんすっ飛ばしていく。ざっと読んで、これは重要な本だが手強いな、と思ったら後で腰を据えて取り組み直す。

振り返ると、私は全般的に「本」を偉大なものと思う傾向があった。小説や歴史書などは今でもそうである。「知の結晶」のように思っているのかな。つまらん小説でも早めに見切りをつけられないのは、そういう価値観があるからだろうと思う。よくない。

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