ミステリはエンタメの基本
新井久幸『書きたい人のためのミステリ入門』(新潮新書、2020年)を読んでいます。近所の図書館で見つけ、面白そうだと思って読むことにしました。
長年にわたり新人賞の下読みを担当し、伊坂幸太郎、道尾秀介、米澤穂信などと伴奏してきた経験を持つ著者が、ミステリの〈お約束〉を解説する本です。タイトルには「書きたい人のため」とありますが、ミステリやミステリ作家についての幅広い解説が、「読む専門」にとっても有益なものになるのではないか、と「はじめに」で述べられています。
その最終章である「第十三章 ミステリ新人賞、その執筆および投稿と選考に関する一考察」は、ミステリ作家ワナビ向けに書かれたもので、私はそこから読みました。その最後に「すべての道は、ミステリに通ず」という見出しがあり、「ミステリはすべてのエンターテインメントの基本」とあります。
およそどんな小説にも、大なり小なり「謎」の要素がある。殺人事件でなくとも、「あの人はなぜあんなことを言うんだろう」とか「彼女はどうして、他でもないあの男が好きなんだろう」とか、物語を牽引する力は、「なぜ」「どうして」であることが多い。その答えを知りたいと思う気持ちが、ページをめくらせるのだ。
大江も西村も…
例えば大江健三郎の小説を読むと、冒頭から「おや?」と思わせるフレーズが文中に混入されていて、ページをめくらせるのが巧い、と思います。『取り替え子』の「田亀のシステム」もそうだし、また私は『キルプの軍団』の冒頭に出てくる忠叔父さんの「暴力犯係」という仕事が、さりげなく挿入されていながらもどこか怪しい雰囲気が出ていて、巧いなあと思ったものです。
大江自身は「異化」という言葉をよく使っていましたが、そういう「あれ?」と思わせるフレーズや言い回しも、一種の「謎」なのかもしれません。
また、少し前に読んだ西村賢太の「崩折れるにはまだ早い」も、叙述トリックめいたものが用いられていました。「語り」の面白さを追求すると、小説はミステリのようになってくるのかも。
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小説「映画青年」(12)