杉本純のブログ

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負の感情

岩井俊憲『働く人のためのアドラー心理学』(朝日文庫、2016年)の目次を読んでいたら「負の感情をパートナーにする」という節があったので気になって、そこだけ読んだ。ほぉ、憎悪や嫉妬の炎をメラメラ燃やして生きろ、みたいなことが書いてあるのかしら、と意外だったのだ。私の印象では、アドラーというのは人生や人間関係を平和な方へ導くタイプの人だったから。

「負の感情をパートナーにする」では、感情というのは「あるきっかけ」から作られ、特定の「相手」に対しある「目的」の下で使われる、とされ、また感情はコントロールできるものであり、負の感情も含めて自分のパートナーである、というアドラー心理学の説明を紹介している。

例として、「怒り」の使い方が紹介されている。部下が打合せに遅れた時に「怒り」を使うのは、本人には部下に対し何らかの「目的」があって「怒り」を使うのを選択した、と述べられている。この節の前にはアドラーの言葉「人の力の追求、支配欲をまさに象徴化する情動は、怒りである」が引用されているので、恐らく部下に対する「目的」とは支配欲などになるのだろう。

そして、そういう負の感情とはうまく付き合っていかないと人生にとってマイナスになることが多い、負の感情を自分のパートナーと思って上手に付き合っていきたい、と述べられている。

私はけっこう、憎悪というか、過去に馬鹿にされたり下に見られたりしたことを根に持ち、いつかあいつに吠え面かかせてやろうなどと思っている部分が今でもある。馬鹿にしてきた相手のことを思うと今でも怒りがこみあげてくる。それで一人ぼっちのまま怒りをメラメラさせ、鎮まるまで心が落ち着かない、という辛い思いをする。そんなことがたまにある。

きっとアドラー流に言うと、そういう状態の私は負の感情によって人生にマイナスを及ぼしているのだろう。恨んでいる相手への怒りをコントロールし、怒りを自分を磨く力に変え、自分の魅力を高めることなどにつなげていくのが怒りとの良い付き合い方なのではないか。

それは正しい生き方だと思う。私自身、二十代の頃に出会い、今でも憎んでいる相手への憎しみは、上記のように処理するのが「正しい」と思っている。しかし、まだまだ大人になれないからなのか、恨みに心が燃えて身悶えしてしまうのである。負の感情と付き合うのはまだ下手である。